石 (前略)日本では美学があるんですよ。(対談の行われている茶室から見える庭を指して)この庭も、入るのではなくて、あくまでも外から眺める。庭との距離をおいて、「私は私、庭は庭」。それで私と庭の間に、おそらく静かな交流もある。しかし、決して私は庭の一部にならないし、庭が私の一部になることもない。媚びることはしない。私と庭の出会いは一期一会なんです。要するに、この瞬間、心の通じ合うところがあればある意味十分だという……。
よく言われるのは、お葬式での当事者の態度。韓国も中国も、家族を亡くしたら、みんなの前でワーワー泣くのが、自然の発露。日本人はお客さんの前では、なるべく凛として、抱え込むんです。ひとつの美学。
もちろん、良くない面もあるでしょう。おそらく、日本の自殺率が高いのもそれと関係があると思います。要するに、自分をすべてさらけだす相手が日本人同士にはあまりない。全部自分が抱え込んだままで、富士山の樹海へ行ってしまう。でも、この二つのどちらにも、いい面と悪い面があるんです。ではどちらをとるかというと、私は日本をとりたい。四十八歳にもなって、自分のことは自分で処理できる歳ですよ。人前ではあくまでも楽しく、また相手の立場も配慮し、一定の距離をおいて、「清く、美しく」付き合った方がいいと、この歳になって思うんです。
呉 静かな交流という言い方、とてもよかったですね。日本の庭は、眺めて、想像を膨らませているわけですね。それと人間関係も同じように感じます。ちょっと距離を置きながら、眺めあう、察する。日本には察する文化があるわけですよね。察するということは、距離をおかないとできませんね。
石 なるほど。
呉 「彼はいまニコニコ笑っているけれども、実は苦しんでるよ」というわけですね。これが日本の精神文化ではないのかなと。庭と同じく、これは日本の美意識であるのと、儒教文化圏では、人が亡くなったときに泣くのは、いいことなんです。(後略) |