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聖蹟を歩く 第33回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(7)
打越 孝明(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)
写真
写真@(盛岡市)「見馴松」を讃える短歌が刻まれた石碑の裏面には、命名の由来を記した「見馴松記」が刻まれている
盛岡行在所

 明治14年(1881)の巡幸では、明治9年に続いて、再び菊池金吾宅が盛岡行在所(あんざいしょ)と定められました。明治天皇のご滞在は、8月19日から21日の期間です。
 天皇は、金吾宅の松の大樹を記憶に留めておられました。変わらぬ緑を湛(たた)える松を親しくご覧になる天皇のお姿に接し、金吾が松のご命名を願い出たところ、松は「見馴松(みなれのまつ)」と名づけられました。天皇の命により、巡幸に随行していた侍従の西四辻公業(にしよつつじきみなり)は松を称えた短歌を詠み、一等編修官の川田剛(たけし)は「見馴松記」を作り、翌日には、早くもそれらが菊池家に下賜されています。
 短歌と「見馴松記」を刻んだ石碑は、今も菊池宅跡(杜陵(とりょう)老人福祉センター庭園)に遺されています(写真@)。天皇に提供された井戸水にちなむ「御膳水記(ごぜんすいき)」碑も建てられました。
 明治15年4月、天皇ご滞在への感謝を奏上するため、金吾が上京して宮内省に参上したところ、「特旨」により一対の銅製の花瓶が宮内卿より下賜されました。そこで、金吾は恩賜の光栄を慶賀するため、巡幸の関係者を「紅葉館(こうようかん)」に招いて歓待しました(『盛岡市奉迎録』)。「紅葉館」は、前年に創業した会員制の高級料亭で、昭和20年の東京大空襲で焼失するまで、東京タワーの建つ位置にありました(池野藤兵衛『料亭 東京芝・紅葉館』)。
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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成T・U』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。
 

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