

|


|
|
明治天皇の御尊影といえば代表的なのが明治神宮宝物殿にある御肖像画です。質問に対してのお答えですが、明治21年、陛下37歳(数え年)のときの御尊影です。実は撮影されたのではなく、コンテ画で描かれたのでした。
そのころ明治天皇の公式な御肖像写真がないことで、臣下たちは長いあいだ頭を悩ませていました。当時は諸外国の君主と御肖像を交換することが慣習となっていたのですが、それまで陛下の正式な御尊影は明治5年に撮られた束帯※1姿・直衣※2姿と、翌6年の洋装の軍服姿だけでした。それ以後、陛下は写真嫌いだったので、お写真を撮られたことはなかったそうです。しかし、それからすでに15年が経ち御尊影と実際のお顔との差が大きくなってきて、外国から現在のお写真を頂きたいという要請が多くなってきました。
宮内大臣より陛下へお写真をお撮りになるように御進言したのですが、写真嫌いの陛下はどうしても御許可をなされませんでした。どうしようか困っていたとき、宮内大臣に就任したばかりの土方久元※3が苦肉の策を考えたのです。
写真がだめなら写生だったらどうだろうか・・・しかしこれを陛下に言上しても御許可して頂けなかったので、ひそかに拝写するしかないと考えたのです。そしてその写生を依頼したのが、当時印刷局のお雇い外国人だったイタリアのエドアルド・キヨッソーネ(1832〜1898)でした。
キヨッソーネはその話を聞いて大変に感激し、さっそく明治21年1月14日、陛下が芝公園内にある 弥生社※4に行幸※5の際、奥の部屋に隠れて、陛下の龍顔※6・御姿勢・御談笑されているお姿など、さまざまな角度から詳細にスケッチをしたのでした。しかも写生だけにとどまらず、陛下の御正装を宮内省から借りて身につけ、みずからモデルとなって写真を撮り、それを基にして御肖像画を完成させたのでした。その威容厳然としたお姿に土方大臣おおいに喜び、さっそく陛下にお見せして御許可を請いました。
しかし陛下は御肖像画を御覧になったとき、無言のままその場では何もおっしゃらなかったそうです。土方大臣は陛下が知らない間に書き描かれたことをお怒りになったのかと思い、不安になりました。しかしたまたまある国から皇族の御真影の贈与の依頼がありましたので、土方大臣はもう一度おそるおそる、陛下にこの御肖像画を贈呈してよろしいか、お伺いしました。
その時、明治天皇はすぐに親署されたそうです。土方大臣はおおいに喜びました。なぜかというと、親署されたということは、すなわちお許しになられたということだからです。
以来、このキヨッソーネが描いた御肖像画は全国に下賜されるようになり、明治天皇の御尊影といえば誰もがキヨッソーネの描いた御肖像画を思い描くほどになったのです。 |
|
|
| ※1束帯(そくたい) |
平安時代以降の朝服の名。天皇以下文武百官が朝廷の公事に着用する正服。 |
| ※2直衣(のうし) |
平安時代以降の天皇・摂家以下公卿の平常服。 |
※3土方久元
(ひじかた・ひさもと) |
天保4年〜大正7年(1833〜1918)土佐藩士。維新後、江戸府、東京府の判事。後に宮中顧問官、農商務大臣、宮内大臣、枢密顧問官などの要職を歴任。晩年は主として聖徳講話などを行い、教育関係の仕事に尽力した。 |
| ※4弥生社(やよいしゃ) |
芝公園内にあった警察官武道演武場。この日、明治天皇は警官の柔術、剣術、旗取り、野試合等を御覧になった。 |
| ※5行幸(ぎょうこう) |
天皇が外出すること。みゆき。 |
| ※6龍顔(りゅうがん) |
天子の顔。天顔。 |
|
|
|