明治の時代、日本人は欧米人から矮小(たけが低く小さいこと)民族とみられ、当時「五尺(150cm)の大女」という語があったくらいで、男性でも150cmから160cmまでが普通でした。
そのころ長身といわれた人物に維新の三傑、西郷隆盛や木戸孝允、大久保利通などがいますが、その中でも断然体躯がすぐれて大きかったのが明治天皇だったとされています。
当時は陛下の身長を測って服を調製するなど許されなかった時代ですので、身長の目測もまちまちで、
五尺六寸(168cm)、同七寸(171cm)、同八寸(174cm)、中には六尺(180cm)と誌されたものもあり、外国の新聞には陛下の身長を170cmと記されていたそうです。唯一『明治天皇紀』には測定された記事が出ていて五尺五寸四分(約166.2cm)と記述がありますが、これは御生前ではなく崩御直後に御遺体を計られたものとされています。
また陛下のお近くでお仕えしていました高倉篤麿の身長が168cmで陛下の鼻のあたりといわれ、多摩丘陵のウサギ狩りに陛下がお立ち寄りになられた富沢家の鴨居の高さが174cmでその下を通られた時ちょっと屈められたという逸話もありますので、170cm以上あったのではないかと想像されます。
次に体重ですが、陛下を乗せた御料※の馬が白く汗をかいたといわれるほどずば抜けた魁偉な御体格であったようで、日清戦争後のころは24貫(90kg)あり、これが通常の体重だったそうで、明治42年には24貫4、5百(約92kg)、そして最も重かった時には26貫(97.5kg)もあり、当時の人の2倍にあたる体重があったそうです。
※御料 天皇や貴人の所有・使用などするものに対する尊敬語。
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