メニュー
明治神宮ロゴ
メニュー
寄稿「私と武道」
タイトル 写真

 今回で6回目の来日になります。これまでは通常2週間ほど滞在して、至誠館の稽古に参加していました。前回までの来日では、私が知らなかった「剣」を中心においた日本の伝統武道の世界を見出すことができましたが、昔から探究したいと思っていた武道の精神的なバックグランドに関する知識と体験を深める時間はありませんでした。

 私は22歳の時に合気道の稽古を始めました。爾来、真の武道を求め続けていましたが、それを見出だすことができずにおりました。自分の命を武道に捧げ、そしてその体験を弟子に伝えるような武道の先生を探し続けてきました。15年間、ヨーロッパのさまざまな国で日本人の諸先生による講習会に出席し、なおかつ合気会の本部道場にも参りましたが、テクニック以上のことを教えてくれる先生を探すことができませんでした。

 稲葉先生にお目にかかるまでは、武道の精神面についての話を一度も伺ったことはありません。他の先生方は、日本武道の精神的な基盤である神道について話をすることなどはありませんでした。ヨーロッパで武道を修練している人たちも、武道の精神的なバックグランドを体験する機会があれば、単なる闘いの技術以上のものに関心をもつことでしょう。現在のヨーロッパには伝統的武道は存在しませんが、変化のきざしは見えていると思います。そのためには至誠館武道の教えを彼らに伝えることが必要でしょう。

 この機会を与えて下さったおかげで、神道に基盤をおいた日本の伝統文化との関わりを深め、また至誠館では最高水準の伝統武道を体験する特別な機会を持つことができました。真の武道が指導されている場所を見出すのは極めて困難なことです。至誠館はそのような稀有な場所だと思います。

 さて、少しポーランドの精神的な伝統について話してみたいと思います。私はキリスト教の伝統の中で育ちました。ポーランド人の大半はカトリックですが、私達ポーランド人は固有の信仰を作りあげたと思います。キリスト教は普遍的性質を有していますが、ポーランドのキリスト教は同時に民族的な面も併せ持っています。私たちは父(なる神)より母の方を中心におきます。聖母マリアということです。それはポーランドが国家として成立した以前の昔からの精神によるものだと思います。ポーランドが建国された土地に、キリスト教が導入される前に住んでいた人々の信仰についてはほとんど資料が残っていませんが、彼らは自然にとても近接した生活を営み、自然の神性を認識していました。それは私たちが聖母を大事にする理由だと思います。

 その理由で私たちポーランド人は、常に土地と深い繋がりを感じていました。ポーランドが分割された時でも国境が移動したときでも、ポーランド人は自分の土地にとどまり続け、強制移住させられた際には、地面の土を一掴み携えて行きました。私たちは、ポーランドは家族という小さな単位の祖国で成り立つ大きな祖国であると捉えています。ポーランド人のメンタリティーでは、これらの家族の祖国は聖母マリアに守っていただいているので壊されることはないと信じています。この信仰が私たちにあらゆる最悪の歴史体験を生き延びる精神力をもたらせてくれました。

 ポーランドは過去200年間でたった41年間だけ自由に過ごすことができました。離別させられ、そして強い復帰願望を持つことで、私たちは移住の民となりました。この精神面に於ける現われが巡礼です。巡礼は過去200年間、ポーランド分割の時代や第一次、二次大戦の最中でも続けられました。巡礼者のほとんどは、黒い聖母マリアの画像があがめられているヤスナグラ修道院(写真)を訪れます。

写真

 巡礼者であることは、参拝することのみならず、探し求め続けることを意味します。私も数回ヤスナグラへの道をたどりました。私たちの精神性に関する疑問への答えを見つける必要性を感じたからです。人生の基本的な質問や疑問を探し求めたからです。20代でちょうど武道を始めた頃でした。それは身体的な動きと精神的な面の繋がりを探したからです。

 今回、神道は感性によることを学びました。それは私にとってとても大切な宝物です。帰国後も自分の日常生活にとり入れたいと思います。そして今回の滞在で日本人と自然との深い繋がりを体験できたおかげで、ポーランドにいる深い信仰をもっている私の友人の感性も分かるようになったと思います。彼らは考える時に大きな問題から逃げていると思っていましたが、そうではないと、今わかってきました。今まで忙しすぎて大きな問題に向き合わなかったですが、今回の滞在で心が静になればその答えが感じられるようになるとわかってきました。あなたがよい問いかけをして、自分の心を開けば、答えが返ってくる。騒がしい心は答えを受け入れることができません。

 神道のおおらかさ、そして生きることに専念するとの考えに敬服しました。神道では生命が中心になりますが、他の宗教では死後が中心になります。キリスト教では、今の時間は死後のための準備期間です。その結果、私は過去や未来について考えすぎて今のことに集中できなくなることがあります。神道の今を大事にする考えにとても感心します。神道では生命が中心になっていますが、死んだ人間の魂は残っている人に影響を与えることができると分かってきました。つまり死によって個人の人生は終わりますが、その精神や魂は残っていきます。私たち人間は、基本的に精神的なものだと、私は信じています。私たちは(自分の魂のおおもとである本源の)魂から生まれてきて、またその(本源の)魂に戻ると思いますが、その繰り返しの中で成長しているものと思います。またそれは一つの人生だけではないと思います。人間がある意味で神性を持っているというのが私の意見です。日本人の考えと私の考えは共通点があると思います。私達が自己創造的な心霊であるような感じがします。このことは私個人の探究に大きな影響を与えるものと思います。


武道場での錬成
 今回の長期間の滞在で、私の武道観は有意義な変化をとげました。武道が人間の生活と人生に大きな役割を持つことができる、ということがよりよくわかりました。武道の稽古のおかげで、人々は自分のビジョンや感じていることを表現できるようになったり、精神的に強くなったり、人生の苦難に立ち向かって対応できるようになると分かってきました。私はずっと前に武道の指導者になろうと決心をした訳ですが、今回の滞在のおかげでその選択の意味がよりよくわかるようになりました。感性や感じていることを伝えることは、一対一の稽古で初めてなし得ると感じました。そのような一対一の教えを体験でき、武道の精神的ルーツを学ぶことができたのはとても感謝しています。

 真剣による稽古と真剣の魂に対する愛情と畏(おそ)れも深くなりました。ずっと以前から、真剣は武道の修練にはなくてはならないものと常に感じていました。けれども以前はなかなか稽古できませんでした。稲葉先生は、私に抜刀術の基本を教えて下さいました。そして、教わったことを自分自身の一人稽古で探求してみました。真剣の稽古では、感情が深く関係してくると実感しました。そのような稽古には、強い心と柔らかい身体が必要ですが、私の心は弱かったです。起こり得ると思われる全ての問題点を分析しようとする私の性癖によるものです。従って自分の心を強くするよう修練しました。稲葉先生は、一人稽古の大事さ、そして仮想敵への想定を常に考えるよう強調されました。従来、一人稽古の大切さを過小評価していましたが、今回その大事さが分かってきました。

 至誠館のさまざまな指導員の稽古に参加しました。彼等は剣術の稽古を通して実戦のセンスを私に理解させてくれました。形の反復による落とし穴を避けるためにも、こういった真剣な稽古が必要です。至誠館の体術の稽古は、武器を持たないものの、真剣の心をもって行う稀有な機会です。他の道場では、このような武道の基本的な側面が失われてしまっています。

 日本に来てからの最初の二週間はノルウェー人と一緒でした。そのおかげでノルウェー人のための特別稽古に参加できました。そこで剣術の組太刀の意味をよく勉強できました。特に受け太刀の勉強になりました。組太刀の形を行なったときに、以前は見落としていた細かい部分を理解することができました。自分が頭で理解していたことを、身体で理解することができました。同じ考えを共有する人々と知り合うのはいつも楽しいものです。ノルウェー・グループの誰もが今回初めて会ったメンバーですので、考えを共有する新たな人々を知ることになりました。

 ノルウェー人の来訪後、海外指導者セミナーがありました。7ヶ国から16名の道場指導者たちが初めて一堂に会しました。セミナーは至誠館と北志賀で行なわれましたが、この意義ある催しは稲葉先生の海外門人にとって今回初のことでした。セミナーの主題は「無刀の心」を得ることでした。セミナーの中で「真剣の精神」が、木刀、短刀、杖といった他の武器の技にも如何に入るかを検分しました。間合いや外的条件は変わりますが、「真剣の心」は変わってはなりません。何も武器を持たない無手の時も同じです。その時の稽古も強い精神的な基盤に置いたものでした。私たちは、明治神宮のみならず諏訪大社と戸隠神社にも参拝しました。初めての禊の体験は、グループの共通の精神を強めたものと思います。


将来に向けて
 今回の滞在はとても貴重な体験になりました。日々の出来事に妨げられることなく、このように長い期間、自分の心身両面について集中できたのは、これまで一度もなく本当に素晴らしかったです。神道に深くつながった日本人の精神の真の姿を理解させてくれる貴重な機会を与えていただいたことを心から感謝します。西洋人にこのような機会を与えることは、とても素晴らしいアイディアだと思います。神道には、日本人のみならずキリスト教徒にも、それを共有し、再度焦点を合わせて復興すべき事柄がたくさんあります。神道の世界での生活体験は、私たちに自然との深い繋がりを取り戻し、自分たちの内なる感性を理解する手助けとなります。自分の心を通して見ることができるということは、武道の指導者のみならず、私たちの世界をより良いものにしたいと願う全ての者にとってとても大切なことだと思います。


アンジェイ・バジルコ=1965年生まれ。ワルシャワで武道場を運営、指導にあたる。合気道四段、鹿島の太刀中伝。

-寄稿「私と武道」トップに戻る-


サイトマップ お問い合わせ Q&A 明治神宮外苑 明治神宮の結婚式 刊行物の御案内 崇敬会について 武道場 至誠館 国際神道文化研究所 宝物殿 明治神宮へのアクセス 明治神宮の自然、みどころ ご参拝されるかたへ 祭典と行事 明治神宮とは トップページへ 最新情報 至誠館の歩み 図書紹介 入門案内・施設概要・地図 コラム「大和心」 武道とはなにか 寄稿「私と武道」 海外要人の来訪 各課の鍛錬時間 年間行事とお知らせ 国際交流 至誠会(門人の会)便り