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寄稿「私と武道」
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武道の稽古について
 武道と武士道についての私見ですが、まず、武道の「道」の意味とは「何のために戦うか」「何のために命をかけるか」ということ、一方、武士道とは道徳や美学であり、武士道の原理と実践は社会・歴史・文化的背景によって表現されてきているが、自分の在り方や生活のしかた、戦い方などが正しいかを希求するという点では歴史を通じて一貫していると思います。また武士道と武道への考え方は、本人の性格とその理解度によって左右されると思います。

 館長の稽古の一つの眼目は、戦いの勝敗を決めるという部分にあると思います。いわゆる、その一瞬にどのように力を発揮し、相手の力をいかに崩すかということであり、その一瞬とはいろいろな場面に有ると思いますが、いかに実行するか、どのような力が必要で、またいつ、どこで、どのように発揮すればよいのか、動きや技の中にどのように表わせばよいのか、その行為が終わった後にその力をどうすればよいのかといったことです。
 私はそれらを希求するために稽古をしますが、その総ては、長い年月をかけてそれらの答えを見出すものであり、この稽古についての考え方は、実際の戦いだけではなく、ありとあらゆる様々な場面に関連してゆくものと思っています。

神道について
 次に神道について考察を述べるに当たり、まず「神道とは何か」について思いを廻らせねばなりませんが、自分は神道について論ずる程の資質を有しませんので、この問いに対し正確に答えることは難しいとは思います。とはいえ今回の研修プログラムで、神道とは何かといった明確なものではありませんが、漠然とこうではないかとの印象を得ることができましたし、講義や書物から得た知識と館長のご指導から、ある程度の答えを導き出すことができたと思います。

 それは、神道は概念的基盤を有すものであるということです。例えば神が何処にでも存在することや、精神的世界と物理的世界は断絶されたものでないことや、人間の行為には精神的意味で価値が有ること等で、神道には神話があり、世の中の原点やその進化を神話的に説明していること等です。
 一方、現在の神社神道は非常に組織的かつ機能的となっており、神社には宮司をはじめそれを補佐する神職がおり、その中心的な活動を行なっていることや、神社には様々な規模と重要さを持つものがあり、なかでも、天照大御神を祀る伊勢神宮が最も重要な神社といわれ、全国の神社の中心に位置していること、さらに、神社には様々な祭典・儀式・祓い・禊といったものがあり、また、一般家庭では神棚が祀られているといったこと、神道の中心にあるのは、天照大御神と直接の関係がある天皇陛下であるということも解ってきました。

 これらの点について、まず、神道の概念的基盤や神話は二千年以上前にできたことを忘れてはなりません。当時の人々は恐らく自然に親しんで、常に自然と共にある事を自覚していました。現代に通じる偉大な多くの言葉を残した古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、地球が平らであると信じていたように、古代日本人の思い抱く宇宙は、現代の捉え方とは違っていたと思います。ですから、現代の神道の概念的基礎を理解する為には、神話を科学的・哲学的に考えることも必要だと思うのです。

 もう一つは、神道の概念は世界中の人々に影響力があると思います。神道の祭典・儀式などは日本の独特な特徴を持っており、日本人のアイデンティティの大事な部分になると思います。そして、神道の儀式は歴史と文化の一部分であり日本人に自分が誰であるのかを思い起こさせてくれると思います。

 その一方で現在の神道は、ばらばらになっていると思います、それは神道の核となる天照大御神と直接関係のある天皇がもともとのあるべき働きができないからで、その働きとは天照大御神の心を天皇が国のリーダーとして実践し、その働きを国民がひとしく認めるということだと思うからです。

 最後に神道と宗教について申し上げますが、私は世界総ての宗教やイデオロギー・世界観といったものは基本的には同質のものだと思います。その中には概念的構造と内容のふたつがあり、概念的構造は信者にとって明確ではない無意識のもので、内容とは皆が良く理解して意識しているものだと思います。

 私の考える宗教についての定義は、内容は「教え」であり、それがいろいろな宇宙の存在や必要性などについての問いに対する明確な答えであり、それは概念的構造とは直接の繋がりはなく、独立したものだと思っています。この概念的構造が他の宗教やイデオロギーに似通ったものである場合も多くあると思います。例えば一神教の宗教を見ますと、それぞれが内容的に似通っているか、あるいは違っても組織的な構造はほとんど同じです。構造的な面は、社会現象である宗教的特長を持っており、世界を見えるものと見えないものに分け、目に見えない世界が見える世界に比べて偉大だと教えています。概ね自分の行為が目に見えない世界の神の意思に従うというかたちで自分の行動が正しいと説明しています

 また目に見えない世界が何であるかのという定義をそれぞれの違う宗教が説明し、そこから出てくる結果から、違う教義や規則などを使用しているのみなのです。しかしそれぞれの宗教は皆、同じ概念的構造を持っているにもかかわらず、信徒達にはそれを意識させないようにしています。なぜならば、それを意識すると信徒たちは何を信じていいのか迷ってしまうからです。宗教間の敵愾心は「違い」ではなく「共通点」から生まれてくるのです。それは彼らの概念的基盤が同じだからなのだと思います。絶対的真実ではなく、他の真実を認めないからでしょう。それにより彼らの敵愾心をより強くし、彼らの目的の理由付けとする事になるのです。この考え方から、一神教と神道との違いが明らかになってきたと思います。またこうしたことから宗教間の対話には意味が無いことが解ると思います。


ひとつの提言
 明治天皇の御神徳の大事なもののひとつとして、日本の近代化への並々ならぬご努力があげられると思います。そこで明治神宮で、例えば農業・医学・環境学の研究について奨学金を出したりといった、新しいものを採り入れる努力をされてはいかがでしょうか。宗教や神話について比較研究などへの支援をされておられるのでしょうか。ギリシャ神話には神道と同じように多くの神がおり、面白い研究になると思います。それが神道の自然観や明治天皇の教えに繋がっていくと私は確信します。

 また、御祭神明治天皇のおかげで日本が20世紀前半において特異な成長を遂げたと思います。他のアジア諸国と違い植民地になることなく、日清・日露の戦役でも勝利し、世界の列強の仲間入りを果たしました。第一次大戦では国力が増強し、英・仏・米と対等のやり取りをしています。

 しかし、その後は日本の力を弱めるため、様々な外交政策を彼らは採りました。当時の日本政府は不平等な外交要求を容認せざるを得ず、国内の緊張が増し、 1930年代には、日本が強い批判を受けたと思います。その結果、西洋からの圧迫が強まり、国家の進退に窮して戦争への道が開かれたのだと思っています。戦争の結果はまた別の話ですが、国際社会の説明によると米国が日本の軍事政権から日本人民を救うために侵攻したとなっていますが、これは事実ではなく、米国政府のために作られた話だと思います。実際アメリカは日本の国土を犯し、広島・長崎に原爆を落としました。その後ベトナムでもたいへんなことをやっています。

 初詣では明治神宮に3が日で300万人以上が訪れると聞いています。その参拝者に対し明治神宮はいろんな活動ができるはずです。日本国民が再び自由になるためにいろいろな活動をすべきだと私は思います。


イリアス・パパタナシス=1956年、ギリシャ生まれ。アテネ合気道クラブ代表、合気道五段、鹿島の太刀中伝。文筆家。

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