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寄稿「私と武道」
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はじめに
 伝統的な日本文化の個人的経験と研修結果に関する考察を報告する。当レポートはまた、神道と武道が、どのようにして私の抱く西欧的価値観と西欧的性向の見直しを可能にしたかも説明したいと思う。

 私は、西欧思想の教えを通じて、自主性と個性という発想による主観主義優先の自己概念を受け入れていた。これらの概念は、自己の利益となる事柄を追及する自由と権利を許すものである。歴史的に、個人としての人の権利は、18世紀の啓蒙主義運動を支配した西欧理念の論理的根拠に発している。啓蒙理念はヨーロッパの封建時代に終止符を打った市民の反乱と社会変動を支える理論となり、国家からの王権と宗教の分離を正当化し、近代主義(modernity)と近代的主観性を創始した。「人間が万物の尺度である」との考え方から、啓蒙理念は近代国家に指導理念――自由、平等、友愛――を提供した。

西欧の理想
 自由と平等という理念は、現代西欧生活の中心信条を形づくるのに受け継がれている。私は、多元主義、文化の多様性、個性の表現を尊重し、自由主義と平等な権利を宣揚する社会に生きている。英国の国際的な社会機構は、諸個人と諸グループが共存するための寛容と国の干渉から独立した自主決定という価値観を要求している。この背景で育ったため、私は無宗教であり、自らで自分自身を管理するよう育った。

 しかし、こうした社会で、同胞の精神、つまり社会的責任の原則は抵抗を受け、排除もしくは浸食されている。私には、他に害を及ぼさないやり方で自己利益を追求する自由があるが、私の行動のうちに、公共善の推進に努め、あるいは社会の便益を高める努力をする義務はない。1980年代に、社会福祉を改善し社会の一体性の崩落を食い止めるのは、政府ではなく個々人の責任だとする「公共の利益」という考え方が、新保守主義者たちによって論じられた。11年間首相を務めたマ−ガレット・サッチャ−はこう言っている。「社会などというものは無い。個々の男女、そして家族があるだけだ」いま、英国では、コミュニティの変革と行為について市民に責任を負わせるという同じような目的を持つ新たな保守党政権が成立している。 デ−ビッド・キャメロン首相は、言う。(「大きな国家」ではなく)「大きな社会」だと。

 こうした政治的主張については、自己利益を満たすことがより広い社会で成就できるかどうかということが大きな問題になる。個人は適切な準備ないし教育なしにこうした貢献を求める要求を満たすことができるのだろうか。以上のような文化的、社会的事項が、私の経験のなかで、また合気道を教える日常のなかで、私にとっての個人的な関心事となっている。私の授業に出席する生徒のなかには、私を教師としてもっと知り合いたいと望むことなく、私の知識と理解した事柄から、利益を引き出そうとする意図を持って入ってきた者が多い。かれらには、社会的責任の欠如と、個人の利益を得ることに集中する競争的スポーツ精神の態度があるように思われる。私の理解するところでは、これは、武士階級から生まれてきた日本武道の伝統とも、忠誠心、名誉心、自己犠牲精神の涵養とも、もとより無縁のものである。至誠館の門を叩いた私の個人的目的の一つは、私がここで経験する価値観に拠っている日本の共同社会を動機付けているものは何かを感得することであった。武道の「精神」はどのように発揚されるのか。私はどのようにして、ただに技の習得にとどまらず、より奥深い個人的、対人的、社会的変容を引き起こす指導能力を涵養するために、私自らの修養を積み重ねることができるのであろうか。

 奨学金による修業を始める以前の私の主たる目的の一つは、至誠館での日本文化体験の中で、私が経験したことのある同胞関係をもっと探求することであった。日本武道は、全的利己主義である個人主義の支配をどのように受け入れているのか、あるいはそれに抵抗しているのだろうか。 それは社会の価値観の変化をどのように受け止め、それに順応しているのか、そして武道と神道の伝統(教え)は社会の一体性を改善する感化の刺激をどのように提供できるのだろうか、ということである。

禊ぎ
 来日後の最初10日間は、国際至誠館武道協会(ISBA)のインストラクター用コース担当者の手配で、13人の国際教習生と一緒に過ごした。私にとって非常に重要であったことの一つは、御嶽山を訪れて浄化儀式である禊ぎを行うことであった。

 禊ぎは、御嶽神社で神に詣で、それから目的地の小さな滝へと山を下りていって行われる。荒谷館長からこの儀式に参加する心構えについての話があり、私たちの行う一連の行動の概略が指示された。修祓(祓い)、振魂(ふりたま)、鳥船(とりふね)、雄健(おたけび)、雄詰(おころび)と気吹(いぶき、呼吸)である。館長はまた、2つの重要な個人的誓約、すなわち水を押しいただいて真摯な祈りを捧げるように励まされた。

 この行事は、私個人にとってはなかなかの難題だった。というのは、私は恐れと共にグループの一員として心中に生じる競争心という入り交じった気持ちを抱いたからである。私は、意識を失うのではないかとの恐れと、グループに対して私という者の存在を示したいという焦りとの交錯した気持ちを抱えて、身の凍るような水圧に耐え抜こうと身構えていた。しかし、御嶽山に到着したとき、私は、先に進むためにはこうした自滅的な思いを捨てて禊ぎの真の内なる目的を見出すことに専心しなければならないことを悟った。

 私は、山を下りていくときを、心を鎮め、呼吸と周りの木々との関係を調和させる機会にしようと決めた。神社へと歩いていくにつれて、私は知覚経験(音、光、触感、平衡感)を鋭く意識するようになり、そうした感覚意識もまた自然および祈りと一体化しようとする気持ちを研ぎ澄ます鍵であることに気づいた。

 滝の下での経験がもたらしたのは、衝撃と畏怖感の混じり合ったものだった。水は予想していたよりももっと冷たく、頭頂部からゴウゴウと流れ落ちた。暫くのあいだ、私はその力に圧倒されて意識を保つことで精一杯だった。しかし、ようやくにして私は四肢を自然に任せ、腹の底から祈りに気持ちを集中することで水に聞き、水を感じ、水を受けいれることができた。

 禊ぎの後、心も肺の中までも活気がみなぎっているのを感じながら、私たちは山の上へと戻った。禊ぎの結果、私は本当に何もかも洗い流したのだと感じた。そして、生きる活力と人生の目的について新たな感情が湧き起こったように思った。私は祈りを捧げるこの旅がいかに積極的でかつ内容豊かなものであったかを反芻した。全身からする反応を生み出したのは、全身を挙げて向かっていった努力だった。私は、それ以来、禊ぎの持つ意味を考え続けている。いかにして外部の力に頼るか、というよりむしろ、自らの力で変身できるように頑張るということである。

 私は、生まれ育ったキリスト教文化におけるバプティズム(洗礼の儀式)を回顧してみた。バプティズムはサクラメント(秘蹟)として誕生または霊的更生の秘儀およびキリストの正しい道に入る誓いを通じる救済の通過儀礼として機能している。それは、通常は一度だけ行われるもので、敬虔な信者に対して他者の手で執り行われるものである。したがって、キリスト教徒は、人生における自らの行為如何にかかわらず、この洗礼の儀式だけで信仰者になることができる。私は、固い自らの意志を持って臨む禊ぎ行為と、全能の神の存在の下、聖職者により、本人は受け身で行われる変身儀式としてのキリスト教徒の洗礼との対照に驚かざるを得ない。Masonによれば「神道は自らを清めることを意味しており、けして他人にお清めを強制することではない」ということである(1935年)。禊ぎについての私なりの理解は、人は未知なるものに直面して、浄化を通じて新しい、意味のある何かを呼び寄せることを求められていることだと思う。禊ぎは儀式的な変身において献身的行為が要求されることを示している。おそらく、人は純粋な気持ちになったときに変身できるのであろう。

古事記
 イザナギ(伊弉諾)の「清め(穢れ払い)」は、禊ぎ(今日までも続いている古神道の宗教的慣習)といわれる、歴史上最初の儀式的行為であった。その儀式は、身体だけではなく魂まで清めるものであり、生命に力を与え、活力をよみがえらせるものであります。イザナギの神話にこの禊ぎが表され、この儀式が終えられた時、新しい神が造りあげられました。(Roberts、2010年)。

 禊ぎの儀式は日本最古の年代記である古事記(712年)に記載されている。これは元明天皇(在位707年〜721年)の勅により、太安万侶(貴族)が稗田阿礼の助けを得て撰録した。稗田阿礼は天武天皇の勅により、現在は失われている書物である帝紀(皇室の系図)と旧辞(神話・伝承)を一つのまとまった国史になるように誦習していた(天武天皇はその仕事の完了を待たずに崩御された)。この歴史は太陽神である天照大神の直系の子孫としての日本の天皇家の系譜を説明するものである。古事記は、また、日本古来の信仰が、仏教と一線を画している事を示しており、したがって後に神道として定義されたものの発展において、歴史的に重要なものであります。

 古事記によれば、イザナギは食物および身罷った妻/姉妹であるイザナミに接触したために身が汚れ、不浄になったことを悟って黄泉の国から逃げ帰った。その後、かれは水浴びする川を見つけ、そこからさまざまな種類の神々を生みだした。天照大神はイザナギが最後に生みだした三柱の神の一人である。イザナギは天照大神に玉の首飾りと天を支配する権限を与えた。この天照大神から、孫のニニギノミコトは三種の神器(やたの鏡、勾玉、草薙の剣)と日本統治の命を受け、彼の曾孫は日本を最初に統治した神武天皇となった。

 日本創造神話として、私は古事記に魅了された。混沌の中から、多様で友愛に満ち、連帯した神々が活動する必要性に応じたくさん生みだされました。彼らは神々として最も良い方針を選ぶための、彼ら同志での交渉において、成功するのと同じくらい失敗もしているように見える。この天地の様相はきわめて多神論的で、ギリシャ神話におけるパンテオンの神々に似ている。人間のように感じ、振る舞う神々である。

 ここでもまた、キリスト教をはじめ、一神教で唯一の、全能で遍在する神性を想定する(ヒンズー教を除く)他の世界的な主要宗教との対照をなすものである。唯一の神を奉じる諸宗教のなかに、思考と身体、そして肉体と精神を分ける二元論が認められるのは、私にとっては興味のある点である。キリスト教においては、この思想は「真理」という高尚な概念の追求という、プラトンによって始められたソクラテス派哲学に由来している。プラトンは、研ぎ澄まされた瞑想によってのみ到達できる超越した形式の中に、神格(神の力)や完全無欠なものを見出した。かれのシェーマ(構図・図式)において、感覚中心の肉体は、知識もしくは完全性の探究にとっては信頼できないものである。プラトンの「洞窟のたとえ話」から、私たちは、肉体は脆弱であって自己欺瞞に加担することがあるので信頼できないものである。したがって、西欧の哲学の教えは、肉体を、真の知識に対する限界、究極の現実の真理を理解するのに求められる瞑想を行うためには、劣っていて不適切なものであると概念化した。

 Masonは神道を日本人の「原始的な潜在意識の基盤」に横たわる本質を明らかにするものとして述べている。彼はさらに次のように述べる。

神道においては、宇宙と神の創造的精神の分離はない。宇宙は神の創造的精神そのものが物質や生命として広がったものであり、精神、物質、生命という3つの実体があるのではないのである。物質と生命は、神の精神が自己を違う姿に再創造したものであり、本質はつねに神の精神なのだ。(2002年)

 この記述は、神が全てを包括しているという、神についての全体論的な態度を示している。それは、人類が言語や思慮を持つようになる有史前の人間の知識において、より早い時期を指示している。土壌、太陽と海の生態は自然のリズムに支配され、人間はそのリズムに直観的に参加したのであって、それにもたれかかることも、それから収奪することもなかった。Masonは次のように続ける。「しかし、神道はそれ以上のものである。神道は生きている現実の表現でも、限られた経験でもなく、最も広義の生命表現であるという点で、日本人の枠を越えている。それは一国の歴史という形で生命自体の知恵を表すが、その意味の適用範囲は世界に及ぶものである」。

 小野祖教博士は「神が神道の崇拝対象である」(2004年)と述べ、この言葉を、格別に優れていると認められる業績を為し遂げた、高貴で聖なる魂を持つ実体に与えられる名誉あるステータスであると定義している。神は万物のうちにあるが、偉大な行為を遂行する力と能力についてのみ崇拝の対象となる。幸運をもたらし、あるいは大惨事や破壊を引き起こす行為能力が認識されたときに、神は畏敬、感謝、畏怖の念を持って崇められる。物事の変化を、観想や信仰だけによってではなく、能動的な意志を通じて行う力の存在することを、それらの神々は示している。

神社の式年祭
 日本での修行の間に、私は明治神宮の主催する鎮座90年祭に招待されるという前例のない幸運に恵まれた。そこで、目にした多様な日本の伝統芸能である、雅楽(古代宮廷音楽)、舞楽(音楽を伴った宮廷舞踊)、能狂言(短い楽劇)、三曲(弦楽器の女性アンサンブル)、流鏑馬(馬上弓術)、古武道、を堪能できたのはまことにありがたいことであった。私はまた、明治天皇の鎮座90年祭に出席し、さらに天皇陛下の明治神宮御参拝の儀式に参列する栄誉に浴した。

 私は、雅楽が、畏怖の念と人を魅了する感覚が同じ息遣いの中から醸し出され、心に残る、一種の不気味な印象さえ与えることに気づいた。舞楽を演じる舞踊手たちのしなやかな力強さ、演技への集中力は格別であり、色彩豊かな装束にも感銘を受けた。三曲を合奏する女性達の、それぞれの楽器から奏でられる、まるで絹から紡ぎだされるような調和のとれた優雅な音楽に魅せられた。二人の男性によって演じられた能・狂言は、一風変わっていて、滑稽でありながらそれでいて素晴らしいものだった。私はロシアの前衛劇の形成に、日本の舞台芸術との出会いがどれだけ貢献したかを思い起こした。それは今日でもヨーロッパやアメリカの演劇の斬新な企画に多くの影響を及ぼしている。様々な型による古武道の演武をみながら、私は多様な流派が動きの基本を腹に集中するという同一の力点を共有していることを観察した。もう一つの見所は流鏑馬であった。その中で、一番心に残っているのは、馬が早足で駆け抜ける時に蹄が立てる地響きであった。

 天皇陛下の御参拝式は、殊のほか忘れられないもので、私はゲストとして招かれたごく少数の西欧人の一人であることをまことに幸運だと感じた。天皇陛下のご到着を待つ間、荘厳さと静謐さと期待が入り混じった空気が満ち溢れていたことを思い出す。この雰囲気の中で、私は日本人にとって、そしてその一体性にとって、天皇制度の有する意義と重要性を感じ得たような気がした。Masonは天皇の地位を次のように述べている。「日本の君主は、日本で創造された神霊の結集たる天照大神の権化である」。私は日本人が祖先に対して抱いている崇敬の念を思い起こした。このときの天皇陛下による明治神宮御参拝の儀式もその表れである。私はまた、類まれな、はるか古代にまで遡れる皇室の系譜のことも考えた。

 君主の先祖に参拝する儀式は英国にはない。ダイアナ妃の死去に伴う一般人も含む服喪を別にすれば、亡くなった王家の人々のうち、死後も一般の人々の記憶に長くとどまる数は多くはない。英国人の現代の生活では、公の追悼は圧倒的にテレビ、ドキュメンタリー、新聞、書物、あるいは博物館の行事のなかに組みこまれた仕事になっている。儀式の間、私はこの点について、この畏敬感と厳粛な雰囲気を醸し出す感覚について、いくらかの違和感をおぼえた。天皇陛下が通り過ぎられるとき、私は、頭をあげて視線を合わせたいとの思いを抑えながら、うやうやしくお辞儀をしていた。小野祖教博士は、神社神道で行われる儀式の本質を、外国人が理解することの難しさに言及し、また彼らが本当に儀式に参加できる能力の限界についても示唆している。

神道は日本古来の宗教であり、それは日本の習慣と思考に密接に織りあわされている。神道を日本人の村落社会および国民生活と切り離すことはできない。神社神道の神々のうち、多くは日本人による崇拝を特に求める性質の神であって、日本人が為すのと同じように他の民族、他国の人々に日本の神を崇めるよう求めることはできない。たとえば日本人でない人が、明治天皇を敬うことがあっても、日本人の場合と同じ感覚で神と見なすとは考えられない。したがって、神信仰のこの側面は海外普及には不向きである。(2004年)

 小野博士は日本人以外の同書の読者に「それぞれの土地の霊と自然の霊、自らの先祖たちに感謝の意を表明する」ことを奨めてはいるが、神道は民族固有の宗教であることを読者に説いていることは間違いない。修行が進むにつれて、二つの考えが浮かんできた。第一は、日本人には神道に属する特権があるということである。日本人は誰でも、日本人であること故、当然に神道の教徒である。そしてその宗教は日本人の血や日本の土地と密接に結びついた祖先が作り上げてきたものを敬うものである。日本人としての存在はつまるところ、その地理的、社会・文化的結びつきを通じて見えてくる。結局、私はどのようにしてこの、日本人でない私が明治天皇を祀る本殿の毎日の礼拝を行うべきなのかを考えあぐねるままとなった。

 第二に、崇拝に対する価値観は、所属感、一体感に基づくものであって、そうした感覚は、本来の土地を離れて離散したアフリカ系インド人という私の出自には欠けているものである。私には故郷がないわけではないけれども、精神の故郷と呼べる場所は見出し得ていない。私の先祖たちが経験した奴隷生活、契約労働、移住、自国文化の排除は、私が属する過去を持ち続ける事を、現在も困難にしている。いくつかの点で、私の歴史は抹殺されてすらいる。私は長年の間、この事実に折り合いを付けてきたが、今に至ってまた、自分のたどってきた道を見極め、私の西欧的「自由」の代価と利点とを比較評価するよう駆り立てられているように感じる。

靖國神社
 神道に関する講義の一環として、私は聖徳記念絵画館を見学し、また稲葉先生に引率されて靖國神社を訪れたので、まずそのことから述べようと思う。靖国神社には、国のために生命を犠牲にした246万6000人以上の霊が祭られている。神社の入り口には荘厳な第一鳥居が立っている。これは日本最大の鳥居で、そこをくぐる参詣人が小さく見える。稲葉先生は、日本陸軍の創設者である大村益次郎の銅像がこの第一鳥居から神社に続く道の見通しを遮っていると指摘された。これは何を意味するのだろうか。

 神社のガイドブックには次のように書いてある。「日本を守って死亡した一般の日本国民、台湾と朝鮮の人々、シベリア抑留中に亡くなった人々、連合国の裁判で戦争犯罪人として処刑された人々も祭られています」。 無差別に神として祭られることは国内外の倫理的な関心事となり、私の場合もそのことが参詣中、思念につきまとった。最も重要なのは、この神社が正義ということについての私の理解に関して疑問を投げかけるものだったことである。どうして西欧の正義観が日本文化にも係わるものとなり、普遍化され得るのであろうか。正義という言葉は、人々がどう行動すべきかを秩序だて、行動と結果を正当化するローカルの条件と価値観を無視できるのだろうか。日本文化における祖先観を理解することがなければ、それを議論することは不可能ではないのか。

 靖國神社の戦争博物館(遊就館)の中では、私は伝統的なサムライの一式展示を見ることに最も関心があった。オリジナルの、本物の武器と甲冑がどのような様相だったのかがわかり、何もかもが手作りで往時そのままであることは驚きだった。私はまた、日本の武力抗争と征服の歴史を活写している戦争光景も興味を持って見た。博物館のこの一画は、近代国家の戦争の歴史を年代別にまとめた他の展示とは対照的であった。近代日本の軍服と大砲は、他の国々のものとほとんど区別がつかないように思えた。封建時代のものと比べると、それらは大量生産されたものようであり、私は、機械化され、技術を強調して人命の価値に無頓着になってきた戦争の性質の変化を思案した。私は、封建時代の戦争のなかで、サムライの戦いから発展してきた武道の価値に思いをめぐらした。

 現代の兵士は、もともと、米国軍隊が発起し、スポンサーとなった技術の戦争ゲーム用に養成されている。これらの兵士は人々の要望に応じるのではなくて、規模、形態、速度、色彩、距離を測る抽象概念に反応することを教えられている。したがって、こうした兵士はそれほどためらわずに、より効率的に、かつより無造作に殺傷する。人としての接触に関する訓練を受けていない場合、現代の兵士は人間としての共感、気配り、あるいは倫理的な関心を育てることから遠ざけられる。稲葉先生はそのあと、日本の無名兵士の遺骨を納めた近くの墓地に私たちを引率された。これらの戦死者の多くは遺骨を引き取る家族もなく、国からも忘れ去られていることを知って私は暗澹たる気持ちに襲われた。

聖徳記念絵画館
 聖徳記念絵画館は明治天皇の生涯と事績を記念するために奉納された80点の絵画を展示している。建物は西欧風の建築様式で、パリにあるルーブル美術館を模したところもあるように思われる。80点の絵画は相向かい合った棟に、天皇の生涯の年代順に配置されている。一つの棟は治世の前半に関するもので、伝統的な日本の画家が制作した40点を展示している。もう一つの棟は治世後期の出来事が主題で、西欧の画風に影響を受けた日本人画家の作品である。

 明治天皇は五箇條の御誓文で「智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」と述べられた。この絵画館は、大理石の内装、天窓、近代的なステンドグラスの窓を有する雄大な設計で、天皇の抱負を具現する建物である。とくに私の注目をひいたのは天皇の「岩倉邸行幸」だった。このシーンは、死の床にあって妻に抱え上げられた岩倉氏を天皇が思いやり深く見下ろされている光景を描いている。氏の袴がベッドの上に置いてあって改まった気持ちを示しており、室内の粛然とした照明から、これが永別の瞬間であることがはっきり分かるように思われる。絵の構成は図形、雰囲気、事象と調和しており、一切を包含する霊魂の一面を描き出すものとなっている。

鹿島神宮
 稲葉先生は、私たち国際研修生を、武甕槌神に捧げられた鹿島神宮に引率された。この歴史的で忘れがたい見学旅行は、武道と神道の内に存する価値観の理解をさらに深めるものだった。稲葉先生は"袈裟切り"を鋭くすることを通じて剣術の感覚、目的、意味をより強固に把握するよう求められた。私はこの課題によって、腹からの行動を統合して感覚を明敏にするとともに、雑念、障壁、干渉を押しのけてより目的がはっきりしてきたと気づいた。私は、袈裟切りと、心情のお清めである禊ぎ、さらに最も大事にしている価値観の保護に、同じ意思集中の働きがあることに気づいた。私はまた、剣を突き出す際に、何か不可思議な力が、私の丹田と身体すべてを前方に押しやるように、背後から加勢してくれるのを感じた。この感じは、剣道においてもそれ以外の状況においても持続している。

 それ以来、私は神道儀式の禊ぎと武道に認められる求心性と、それがどのように日本人の日常生活に広く及んでいるかを理解するようになった。日本の社会生活は、社会に対する貢献としての自己責任を中心に営まれ、したがって清潔にすることが社会の主要な価値の一つになっている。それは各人が最善の意図を明らかにし、そのことで皆に貢献するという前提に根ざしている。この価値観の故に、協力的な共同体生活の基盤が築かれ得るのである。

結論
 至誠館の奨学制度のおかげで実現した日本滞在の間、多くのことを学び、私は深い感謝の気持ちに満たされている。(明治神宮と至誠館が)国際社会の諸文化を重んじてそれらに門戸を開いていたことからこうした体験ができたことを、祖先を敬う気持ちをこめて私は明治天皇に深く感謝している。この寛容性なくしては、私が現在ここにいることはなかったであろう。

 ここ至誠館で私の前に置かれた課題は広きに及ぶものである。私は個人的、文化的、精神的見地から、自分自身を再評価する機会とともに、武道への理解を深め、修練を積む機会を与えられた。私は、今では、神道がどのように武道と関連しているか、またこの関連性がどのように社会の結合力を支え強化するかをより明確に把握している。

 至誠館での経験の結果、世の中での私の仕事と、私がそのために行うべき活動(努力)に関する私の役割は明らかになってきた。神に象徴されるような、私が抱懐する最高価値に沿った責任と意欲に集中することが、どんな試みについても重要であるとの意識が私のなかで高まっている。ここ日本で経験したように、共同社会が重要であるとの認識と、その社会での私の役割とは、私がロンドンに帰国して後もさらにたどるべき道として私の前に開かれている。祖先からの系譜に関する強調が、社会の結束が最も重要視される日本文化の中に見られるということは、私にとっては決して偶然のことではない。どの共同社会にあっても、私の最善の部分を挙げて尽くすために、私はまた、私を今日の私であらしめた祖先の社会を知らなければならないと思っている。この思いから、私は父方および母方双方の祖父母との繋がりをもっと深く詮索してみたいと考えている。

参考文献
Mason, J.W.T. (1935) The meaning of Shinto; the primaeval foundation of creative spirit in modern Japan.(神道の意味:近代日本の創造精神の原生的基盤) E.P. Dutton, New York.
Ono, S. & Woodard, W.P. (2004) Shinto the Kami Way. (神道における神の道)Tuttle Publishing,
Roberts, J. (2010) Japanese mythology A to Z. (日本神話のすべて)Chelsea House Publishers, New York, NY.


コーリン・プール=1963年生まれ、ロンドン在住。合気道三段、鹿島の太刀初伝。舞踏家。

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