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寄稿「私と武道」

 こうした題でものを書くなどおこがましいのですが、至誠館柔道科の門人のなかで、おそらく一番の年嵩(65歳)としてお許し下さい。私は秋田県の鉱山町の生まれで、柔道はそこの中学校から始めました。1000人を超える学校の柔道部で、二年のときから正選手(5人)でした。郡大会、県大会、個人戦など正式な試合を15試合ぐらいやったでしょうか。高校は通学時間が長く、運動部には入りませんでしたが、校内柔道大会などには出ていたのですから、柔道はずっと好きだったのでしょう。

 いま思うと当時は、富田常雄の小説「姿三四郎」が評判で、これを映画化した藤田進主演の作品(脚本・監督 黒澤 明)がヒットした時代でもありました。

 東京では柔道から遠ざかっていましたが、家族と一緒にフランスに行ったとき、二人の子供は町のクラブで柔道をやりました。フランスは柔道が日本より盛んです。一年後東京に戻ると、子供たちは柔道を続けたがり、渋谷に住んでいたので、私も一緒に至誠館の門をくぐったわけです。合宿練習やもちつきなどもあり、長女は中三の時、渋谷区の女子初代チャンピオン、小学生だった長男は、後に世田谷区の男子高で柔道部主将を務めました。

 現在、柔道を続けているのは家族では私だけですが、この歳まで大きな健康問題もなくやってこられたのは、至誠館での柔道のお陰ではないかと思っております。47歳で至誠館に入門したころは、受け身をして目が眩み、これでやっていけるのかな、と心配になりましたが、子供の手前やめるわけにいかず、一生懸命練習したことを思い出します。

 現在の永福師範、高山講師はもちろんのこと、鈴木先生、寶池先生をはじめ、野村兄弟、須原兄弟、そのほかたくさんの人にお世話になりました。入門した年の秋、渋谷区大会の段外の部で三位になって銅メダルを貰い、「黒帯になれるぞ!」と思った時は幸せでした。その時の優勝者岡部さんとは、今でも至誠館で乱取りをしています。現在、岡部さんは四段、私は三段です。

 柔道の良さはあげればきりがありませんが、人と取っ組み合うことではないでしょうか。こうした接触は、言葉よりその人の気持がよく伝わります。現代人はこういう本能が薄らいできているのかもしれません。


くどう・すすむ=昭和63年に至誠館柔道科に入門、熱心に錬成を続けること17年余。現在も日々精進を重ねる柔道科の最古老。柔道三段。

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