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コラム「大和心」
タイトル

 武士(もののふ)の心に掛けてしるべきは 討つうたれぬの敵の色あひ
 武士の生死の弐つ打捨てて 進む心にしくものはなし

 10月8日から、NHK衛星テレビで『塚原卜伝』のドラマが始まっていて、“鹿島の太刀”がテーマになっている。鹿島の太刀とは、古来、鹿島の武神、タケミカヅチの神への崇敬から伝えられている“一つの太刀”のことであろうが、その心は、冒頭にかかげた卜伝の武道歌の「討つうたれぬの敵の色あひ」をみて、「生死の弐つ打捨てて進む心」と言ってよいだろう。そこに間髪を入れぬ「一つの太刀」が生まれる。後年に柔道、剣道で云う勝負を決する一本となったと解することもできよう。

 鹿島の太刀といえば、次に香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)が連想されるが、武術流派からみれば、飯篠長威斎の天眞正傳神道流、そして松本備前守尚勝(常陸の大椽鹿島氏の四家老の一人で鹿島神宮の祝部《はふり》)の鹿島神流が生まれてくる。「一つの太刀」とは果してどのような太刀であったのか。秘太刀といわれるほどに興味深い面があるが、その実体はつかみづらいものがある。まさに名人の位に達して、はじめて感得しうる心技体というべきか。

 日本武術の流派発生については、大正期の山田次朗吉(高等商業学校=今の一橋大学=の剣道部師範)の著した『日本剣道史』(大正14年刊)が最も信頼のおける書物とされているが、「卜伝流」について、次のように記録されている。

卜伝流、新當流(塚原卜傳)

卜傳流とは後人より附與した流名である。此の流の祖、塚原卜傳は敢て何流とも名乗らなかった。鹿島志には塚原卜傳神託を蒙りしとき新當の字義ありしより新當流の名が鹿島の流名となったことを陳べてある。卜傳は常陸鹿島の座主卜部吉川覺賢の子で、同所塚原の豪族新左衛門安幹の養子となった。新左衛門の父土佐守は飯篠長威斎に学んだといふ。然るに卜傳が秘刀の「一つの太刀」は松本備前守尚勝の発明にて、之を塚原新左衛門に傳へ、新左衛門より卜傳に傳へたと小傳、古戦録に見えて居る。卜傳は薙髪しての称号で、俗字は塚原新左衛門高幹であった。卜傳己に兵法に達し名が漸く高まったに拘らず、自分で足りとせず、上野に上泉武蔵守を訪ふて其術を研究した。熟練成て後天文の末年、上洛して三好長慶に仕へた。此時将軍足利義輝、細川幽斎、北畠具教なんどは門人となって「一つの太刀」の傳授を受けたのである。

 とあって、卜伝が諸国を巡行の折は、百人余りの従者を具し、鷹を据え、馬を牽(ひ)かし宛(あたか)も大名の行列の如き装いであったという。

 卜伝百首、その心を知る

 武田信玄の臣高坂昌信の原作で、信玄、勝頼二代の事蹟、軍法を綴ったといわれる甲州流軍学である甲陽軍鑑という書では塚原卜伝を「兵法の名人」と称している部分があるが、卜伝の兵法にかかわる心得を詠んだ「卜伝百首」という遺訓抄があるので紹介しておきたい。戦国の名だたる兵法家としていかなる心掛けであったかをみてみるのに好資料である。次に十首を選んで掲げるので卜伝の「一つの太刀」の心掛けとして味わうとともに、当時の武士道の心の修養として実修してほしい。

 武士(もののふ)の女に染ぬ心もて これがほまれのをしへなりける
 武士の味(あじはひ)このみするなただ 常に湯漬を食するぞよき
 武士の児(ちご)や女にたはむれて 心溺れぬ事はあらじな
 武士の力遊びを常にせよ さらずば筋の伸撓(たは)むべし
 武士の心たゆめば自(おのづか)ら 膚(はだえ)は肥(こえ)て身は重くなる
 武士の酒を過ごすぞふかくなる 無下に飲まぬもまた愚かなれ
 武士の軍の事を常々に 思はざりせば不覚あるべし
 武士のいかに心の猛(たけ)くとも しらぬ事には不覚あるべし
 武士の心の内に死の一つ 忘れざりせば不覚あらじな
 武士の迷ふ所は何ならん 生きむいきむのひとつなりけり

(い)

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