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コラム「大和心」
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 10月14日から19日の間、ロシア最古の都市ノヴォゴロドで、武道講習会を開催した。夏にフランスで開催した時にも感じたことだが、西欧でもロシアでも、武道に求められる役割は共通している。

 市場の影響力が国家の力を上回るほどに強力になった現在、欧州でもロシアでも、富の偏在や社会の不公正さが増大し、指導者の資質に対する人々の不満が高まっているのだ。
 これに伴い、社会生活をする上での守るべき規範である公徳心がますます希薄になっていく中、己を捨て利他に生きる日本武道の公徳心教育に関心が高まっているのである。

 また、どの国でも、一般的に自国の歴史や伝統文化に対する誇りが強い人は公徳心も強く、反対に個人の利益を優先させ、個人主義的な傾向の強い人は、自国の歴史や伝統文化に対する誇りも低く、公徳心も弱いという傾向が共通して見られる。

 今回のロシア武道講習会の企画者が、旧市街のクレムリン(城壁)を案内してくれた折、その一角に戦没者の鎮魂の火を灯している鎮魂碑の前で深い祈りを捧げ、こういった。「彼らがいなければ、今私たちはここにはいない。郷土を守るために亡くなった先人たちの魂を忘れてしまうような、そんな不道徳な生き方はできない」
 彼らが現代社会における公徳心の希薄化に危機感を抱いていることを考えてみると、公徳心や公共心とは、教科書的な倫理ではなく、社会のために犠牲を払った人々への尊敬・敬意といった感情がベースにあることがよくわかる。
 言い換えれば、公徳心・公共心とは、世のため人のために生命をかけるという精神そのものなのである。

 しかし、この精神を具体的かつ体系的に後世に伝え、教育する仕組みが、欧州でもロシアでも欠落している。もちろんロシアにおいても、教育の場で教師が生徒たちに道徳心について語り、教会で道徳や信仰について話を聞くことは可能である。しかしそれらはいずれも受動的に話を聞くだけで、主体的精神の育成とは全く次元の違うものであるということを、彼らは理解している。

 彼らは、肉体を鍛える以上に精神を鍛錬することを目的としている武道は、公共心を育て、社会のために生きる精神を養うことに直結するものだと認識しているのだ。
 確かに武道は、武術の技を通じて道徳心を育てるという独特の効果を兼ね備えている。例えば、「敵を倒そう、相手をやっつけよう」という気持ちで技をかけても、相手は反発心を強めるので対抗的な質の悪い力技にしかならない。
 逆に相手の心を知り、相手の立場に立って技をかけると、その相手は抵抗する気持ちをなくし、自然に倒れる(結果として非常に効果的な技となる)。
 これはこの文章を読んだだけでは意味が分からないように、実際に体験して初めて理解できることである。

 つまり武道は、自己を犠牲にしても人の役に立つ生き方を、単に知識として理解するだけでなく、体験を通じて体感的に会得する効果を持つ教育法であり、彼らは、その効果を十二分に理解して武道の稽古に励んでいるのである。

 それをあらわすよい例がある。昨年に続いて今回も、講習会参加者の一割以上が10代の子供たちであった。しかも、この子供たちの親は学校を1週間休ませてこの講習会にご子息たちを参加させているということだった。
 「こんなに貴重な教育の場は他にない。知識をつけるだけの学校教育よりもはるかに重要です。子供にこそ、正しい精神教育を受けさせたい。その一心で参加させました。学校を休ませてでも参加させる価値があるのです」と切々と訴えておられた。


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 ちなみに、この講習会(当然必要経費のみで収益を求めない)の参加料はロシアの地方公務員の約1カ月の給与に相当するという。ということは、学校を休ませ、公務員の1カ月分の給与を注ぎ込んででも参加させたい、それほど価値のある機会だと彼らが考えているということなのである。

 ロシア人たちがこのように武道に取り組んでいる様子を見るにつけ、武道がいかに精神教育の手段として完成されたものなのかを改めて思い知らされた。
 と同時に、知識教育以前に人間としての公徳心を育てる武道が注目されているのは、そうした公徳心の欠落した指導者が跋扈している現在の状況を反映しているのだとも言える。

 日本では戦後教育の中で、軍隊や武道は否定的に捉えられる風潮がいまだに残っている。戦争放棄をうたった憲法九条精神は、相手が一方的に戦争を仕掛けてきても無抵抗で戦う崇高なる非暴力の精神とはまったく無縁のもので、社会に対する自己犠牲的精神を嫌うエゴイストを正当化し、「精神価値の放棄」を日本人に促した。また、一方が「戦わない」と宣言すれば戦わなくて済むという非現実的空想を当然視させた。
 憲法九条の精神では、理不尽を正すためには戦いも辞さないという発想はまったく出てこないだろう。結局、戦後の日本人が憲法精神に従って放棄したのは「戦争」ではなく、「戦うことも辞さない正義心を持った生き方」なのではないか。

 戦後の日本では、「世のため人のため」に精一杯尽くすことを良しとし、「少なくとも人様に迷惑をかけないように」と教えていた日本の社会道徳は、「自分のためにだけ生きる」憲法思想に取って代わられ、自己の経済的欲望を最優先する輩(やから)が日本を占有している。日本人本来の美しくて強い精神文化である「家族のような国を創ろう」という神武天皇建国の理念や、「正しいと信ずることを貫き通すためには、自分の肉体の生死など気にかけない」という武士道の犠牲的精神は憲法思想の敵として追い詰められてきた。

 しかし、西欧人やロシア人たちは、「公共心を捨てて富の収奪にだけ走った人たちが権力を独占し、世界を動かしている現在の状況は社会のためにならない」と現代社会の病理の根本原因を正確に認識し、その解決策としての日本武道の役割を先入観なしに正当に評価している。
 そしてこの状況から脱するために、「公徳心を育てる教育が不可欠だ」という結論を導き出し、「どうしたら公徳心を育てることが出来るのか」について思い悩んだ結果、日本の武道に光を見出しているのだ。

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