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コラム「大和心」
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 平成23年末から正月にかけて、古武道、鹿島の一つの太刀から祓いの太刀まで、柔術を含めて、神道的な修養発展の心と形をわかりやすくまとめてみようとビデオ化に取り組んでいるが、伝統文化の生命の躍動感を現代的に表現するのは容易ではなく、出来具合は未知数だ。

 厳寒の中でスタッフ一同、知力、体力、気力を振り絞っての奮戦がつづくが、その力の源泉は、高く正しき神々への祈りと、先師への畏敬(いけい)の念である。

 顧みれば、昭和四十年代初め大学生時代に、北区滝野川で、鹿島神流武術の道場を開いて“昭和の今武蔵”と異名を持っていた國井善彌(十八代)師範に、1年5ヶ月ほど直接に指導を受けたのが、武道精進の道に入るキッカケであった。以後、東京大学合気道部、神社本庁武道部、そして昭和48年、明治神宮の武道場至誠館が開設されてから師範となり、40年近くが経っている。

 國井先生が亡くなったのが、昭和41年8月、72歳の時。前年の12月、NHKテレビで『日本の伝統』と題して、先生の剣術が放映されるに際し、鹿島神宮に同行させていただいたが、最も緊張したのが、神前での真剣を使った鍔競(つばぜり)立合の受け。最も印象鮮烈だったのが、鹿島灘を前にしての抜刀、祓いの太刀であった。

 たかが、実戦闘のなくなった剣術であるが、されど日本刀の真剣の抜刀からかもし出される雄姿のすばらしさには感嘆禁じえないものがあった。

 神前での鍔競合の殺人鉄器の緊張感と、大海原を前に現出された刀に象徴される日本精神が、私の目と脳裏に焼きついた。

 「四十を過ぎて、時間に余裕ができたらでいいから、ついでくれ。
 三年やれば、一人前になれる。
 お前なら、真剣の立合いができる。」

との遺言めいた言葉が、心に残る。

 心臓発作で倒れた後の危険な状態でも、それこそ全身全霊で教えられた先生への私のご恩返しは、未だ完成には至らず、“秘太刀”といわざるを得ないが、なお、探求を続けて、未完成でもその伝統精神を絶やさないことであろう。せめて同じ歳ぐらいにまで探求をつづけて、引き継ぐ後進ができれば、あの世の彼岸でお会いしても叱責はされないだろうとの思いもある。

 亡くなられて四十数年経って、ようやく鹿島の「一つの太刀」の基本から「祓の太刀」の奥義までを三、四段階にわけて神武無敵の境、包容同化の精神の修養法をビジュアルな形で映像化するのも意味ないことではないだろう。

 自らの拙さ、恥をさらす面もあるが、この間の追求のありのままを一つの形とすることで、志を同じくする人々への一つの指針となればとの思いである。

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