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コラム「大和心」
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武道教育が追求する道徳的な高み

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 新年の初め、恒例の寒稽古がとりおこなわれた。真冬の寒さの厳しい中、道場の窓を全て開け放ち、早朝の真っ暗な時間に稽古が始まる。子供はその後学業があり、大人は仕事がある。寒稽古の期間には、早朝の禊行もあり冷たい水を浴びる。このような寒稽古をすることにどんな意味があるのだろうか。

 米国の心理学者アブラハム・マズローが唱えた欲求段階説を使って、武道の稽古の目的の道徳的な高みについて考えてみよう。

 マズローは人間の欲求を五段階に分けて整理したのだが、それによると一番下層レベルに「生理的欲求」、という人間が生きる上での根源的な欲求があるという。それが満たされると次の段階では「安全の欲求」、つまり暑さを避けようとか寒さを避けよう、危険なことを避けたいという欲求が出てくるとされる。これはら何も人間に限らず、鳥や獣でも生き物なら全てが持っている基礎的な欲求である。

 寒稽古では、このような低次元の要求とは相反する行為をしているわけである。

 次の段階は「他人とかかわりたい、他者と同じようにしたい」といった「集団帰属欲求」がある。時々、大学のクラブに属していて、「先輩に言われたから来ました」という者がいるが、そんな気持ちで参加するのではだめだと言い聞かせている。自分自身で「今年は寒稽古を貫徹するのだ」という気構えがなければ、寒稽古に参加する意味がない。

 その上層には「自分が価値のある存在だと認められ、尊敬されたい」という「承認欲求」がくるとされている。さらにその上の段階が「自己実現」、すなわち自分の能力や可能性を発揮して自己の成長をはかりたい、夢を実現したいという欲求である。

 一般的には、ここまでがマズローの「5段階の要求段階」と呼ばれている。しかし、日本武道で求めるものは、より高次元の要求である。そして、マズロー自身も後年その存在を認めている。それは、「コミュニティに対する貢献欲求」、つまり他者や社会のために役に立ちたいという欲求である。

 現代社会においては「自己実現」が最高の道徳として位置付けられているが、日本武道の教育では、それよりも道徳的に高い「自己を犠牲にしても、世のため、人のために尽くすこと」を目的とする伝統があり、それが普段の何気ない稽古を通じて無意識のうちに身につくように工夫されているのだ。寒稽古はその典型的なものである。

中核が強い社会は強くなる

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 武道の鍛錬とは究極的には精神と肉体の帰結するところを同一視するプロセスであり、身体の中心として臍下丹田と精神の核心を一致させ、体を鍛えることによって精神の強化を図る。武道において心身を鍛えるといった場合、腕力や脚力のような末端の部分力あるいは雑学的知識ではなく心身の中心力を鍛えることが重要なのである。

 つまり、先ずは身体の中心を鍛えて強くし、その力を手足を媒体として相手に作用させるという身体の使い方を訓練する。武道の鍛錬を通じて、この力の使い方を体感できてくると、次第に「精神の中核が強ければ人間として強くなる」という真理の発見につながっていくのだ。

 さらにこれに、「コミュニティに対する貢献欲求」が重なれば、当然、どのような社会が強く健全なのかという点に考えが至るであろう。

 社会を一つの共同体と捉えるならば、社会にも中核があって、その中核を強くすれば社会もまた強い集団になるということに気づくはずである。

 つまり、日本国家の精神的かつ社会的中心を明らかにして、日本国民の力をその中心に結集できれば、日本は確実に強くなるはずだ。

 先の東日本大震災でも、多くの国民が「被災者のために何かをやりたい、復興のために少しでも貢献したい」と思っても、その力を集約するポイントがないために、国民の思いと力が結集できずに、救済と復興は遅滞し、被災地の窮状が深刻化している。

 現在の憲政下では、当然政府がその中核としての役割を果たさなければならないのだが、「国民からの信頼」が欠如しているためにその役割を果たせず、結果として日本全体が弱体化してきている。

 日本人は諸外国の人々に比べて、教育レベルも含めて国民の能力は均一化されているという特徴がある。日本人は皆一定以上に優秀な人々の集団であり、こうした集団を組織する際に、能力別の階層であるピラミッド式の組織構造は合わない。なぜならこれは能力差に応じた序列の階層だからだ。

 仮に日本人を能力別に全員整列させたとすれば、ピラミッドのようにはならず、むしろ団子のようになるであろう。

 このような国民の特質から言っても、能力のある人をトップに就けようとすると、いたずらに派閥的競合や不平不満を作り出すだけで、団結力は薄れる。だからトップダウン式の組織では日本社会は弱くなる。

 むしろ団子のように均一化された日本社会に相応しい組織形態とは、団子の集合体に中心をつくることだろう。つまり、誰もが信頼できる存在を中心に置き、その中心の人徳に皆が感化を受け、各自が持っている実力を発揮するといった構造である。上から下に命令が降りていくのではなく、中心から全体に共通の目的意識が伝達していくという仕組みだ。

 そのためには、欧米式の社会構造を根本的に見直さなくては、現状を打開することは難しい。例えば、いくら選挙をやっても議会で議論しても、信頼度の一番低いものと二番目に低いものの選択では、改善の見込みは全くない。

 能力のあるリーダーが必要だと言われるが、今の日本に必要とされているのは「どんな人からも間違いなく信頼される存在」を中心に据えることである。そこに国民の力を集結して全面的に国の在り方を見直すことである。

 人間の体に、臍下丹田とはそういう名の臓器がある訳ではない。そこに意識を集中し、そこが中心だと信じるだけである。社会についても同じだ。そこが中心だと皆がイメージをできるならば、そこを中心に社会はうまく回っていく。

「全ては変わる」発想持って見直せ

 今年は明治天皇が崩御してから百年目にあたる。百年前の世界は植民主義時代であり、殖民する側と殖民される側が明瞭に分かれていた。その殖民される側だったはずの国の一つだった日本が、殖民する側の国を打ち破り、勝者が敗者の生命財産を略奪する世界秩序に対抗して、民族の自決と協和を世界に広げる考えを打ち出した。この目的を実行するため、日本国民は明治天皇を中心に一致団結して急速に国力を増進していた。

 その時代から考えれば百年後の現在はまったく想像もできないくらい違う世の中になっている。これから百年後はさらに加速度的に社会が変わるだろう。つまり百年後は、今とは全く違う世界になるということだ。

 百年後にはどうせ今の世界は全て変わるのである。それならば現在の前提に従うのではなく、百年後には根本的に全て変わることを前提にして物事を考える必要がある。

 そこで、弱くなっている現在の日本を立て直すには、日本の歴史に学び、中核となる「御存在」即ち天皇陛下を中心に日本を立て直すことが重要だということになるだろう。

 日本の本来の中核に立ち帰り、「世のため人のために尽くす」という精神を持って、「競争で勝った個人に世界をゆだねるのではなく、社会共同体が家族のように一体となって成長できる世界」を再構築すべきだ。

 これほど行き詰った社会を見直すには、「変えられない制度や仕組みなどない、全てが変わるのだ」という発想からスタートすべきなのだ。(あ)

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