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コラム「大和心」
タイトル

対極にある存在思想と生成思想
 人間の存在意義、あるいは、宇宙(自然)と人間の関係を深く掘り下げていくと、それはおそらく「神」の概念に行きつくことになるだろう。
 例えば、ユダヤ教・キリスト教では「はじめに神在りき」。全てを創造した神は、はじめから存在し、万物の外から万物を創ったとされ、創るものと創られるものを対比してとらえる。また、神によって創られた「光」と、神の創造によらない「闇」とを対立させ、神が創造した個々も形ある存在として他のものと対立した存在概念としてとらえる。神の永遠に対し、創られた存在には終わりが在り、世紀末があると考える。したがって、人もまた「我在り」と他の一切の外にある対立存在としてとらえ、その存在は死によって完全に終わることになる。
 一方、日本の神話では「神は成りませる」。つまり神は、宇宙そのものとして成ったとされる。最初の神が天(宇宙)の中心と成り、天地を構成する神々が次々に生成し、その「生成」は連綿と永遠に続くと考える。したがって、人は最初の神の性質(霊)を継承するものとして「生まれ成った」ととらえ、宇宙万有と一体となり、宇宙の生成活動を担うべき霊体ととらえる。人の死は、いわば宇宙(自然)の新陳代謝で、その霊的性質は、神とともに永遠であり、新しく生まれたものに引き継がれることになる。
 こうした神・人の概念の違いは、現代においても、諸々の思想、発想の捉え方に大きな影響を与えていると考えられる。
 例えば、自由主義、競争主義、社会契約主義等は、人を絶対的権利を有する独立存在として捕らえることから起こる。
 これに対して、日本の発想は、宇宙や地球、国家、地域社会(家)等を一つの生命成長体としてとらえるので、一人ひとりは、家や社会の中、地球の中、宇宙の中で、その一員として何らかの役割を担うのであるから、自己の成長は全体の成長であり、全体の成長は自己の成長ととらえる。体の一つ一つの細胞が健全であれば、その人が健康であることと同じだ。
 人間は、本来の神の性質を発顕し、自ずと助け合い、自然と調和し、家を、地域を、国家を、世界を、宇宙を常に成長発展させるよう努力するものと考える。
  したがって、自由主義、競争主義、社会契約主義等という発想はありえない。そのような自己本位な考えを禍憑く(まがつく)とか、穢れるといって忌み嫌う。人体で言えば、自己の成長によって全体を死に追いやる癌細胞だ。

内面的な成長を目的とする武道
 では、武道を通じて人は一体何を成そうとしているのだろうか。
 端的に言えば、鍛練を通じて何らかの成長(それは自己の成長であり、同時に全体の成長でもある)を成し遂げようとしているのだが、ここで言う成長とは極めて内面的なものである。
 存在としての自己は、内面的成長を予定しないので、あたかもパソコンに周辺機器を取り付けて性能を向上させるが如く、外なる存在を自分の所有物にすることで、成長とみなす。あるいは、知識を身につけ、競争に打ち勝ち、地位と金を集めて成長とみなす。
 武道の成長は、生成思想的な観点における成長であり、刀や鎧など外なるものを所有化することを成長とは言わない。
 したがって、何がどのくらい成長したのかは、実際に武術を鍛練した本人のみが自覚出来るものであり、それを言葉で表現することは難しい。
 武道を伝授するのが難しいのは、そのエッセンスがこのような感覚でしか掴みとれないがゆえに、文字や言葉で言い表せないことである。まさしく体感する世界≠ナあり、自分の中の感覚的な変化を追い求める道であり、こうした内面的な成長が目的となっているために、客観的・普遍的な尺度でその成長や変化を確認することは出来ないのだ。
 それと対照的なのが、外に基準や尺度があり、その尺度を目安に変化・発展しようという発想である。
 例えば、陸上の短距離走のように百メートルという距離を走る早さを競うといった「尺度」を基準にして、自分の成長や他者との優劣を確認するスポーツは、こうした発想に基づくものだと言える。
 また格闘においても、相手との相互比較で優越をつけると言う、いわば外部的な要素による結果を持って結論とする形をとる。それによってその人間が内面的に成長したかどうかは全く問わない。
 これを会社に例えれば、収益、利益という尺度が会社の良し悪しを決め、収益こそが会社の存在理由ということになる。また国家で言えば、国民総生産(GDP)のような外なる尺度において国家の成長だとか豊かさを測っている。
 しかし、生成思想の観点から見ると、こうした外の尺度から見た数値に意味はなく、中身がどのように変化し成長したのか、のみが重要視される。

宇宙全体に貢献する生き方
 個が全体の一部として全体に寄与するという生成思想的な発想からすれば、人一人の人生で重要なことは、外の尺度から見た成果を上げることではなく、大袈裟に言えば宇宙の発展のために貢献することである。
 例えば植物は自然界で自ら必要な栄養を生成して成長を果たす。そうした成長は一本の木が倒れた後も、生態系全体の中では意味のあることとして活かされる。つまり大気をつくり、土を作るといった活動を通じて生態系全体の維持や地球の変化にも貢献している。植物の活動は宇宙の発展に寄与しているとさえいえるだろう。
 植物に限らず地球上のあらゆる生き物がそのような生態系全体、地球や宇宙全体の成長のために何らかの役割を果たしているのに対し、「経済成長」を尺度とする人間の活動だけはそれとはまったく無関係な方向に行ってしまっているように思える。
 こうした観点に立てば、武道が自己の内面の思いと稽古の積み重ねを通じて、精神(霊)的進化・発展を遂げることを目的にしていることは、大きな宇宙の活動に寄与することに繋がるものである。
 武道では修行を通じて「理合」や「神技」といった宇宙の真理を体得することを目的としている。例えば、鹿島神流という古流武道では、5つの究理、「陰陽一体」「静動一体」「起発一体」「攻防一体」「虚実一体」として表している。
 存在思想に基づく科学的な論理では相反する概念を、武道では一体として整理されている。これは、存在思想から観れば全くの矛盾で非科学的なことでしかない。
 しかし、武道の鍛練を通じ、自ら成長を重ねていった先には、全く逆だと思われていた概念が実は一つであるという感覚に達する。この感覚は、単なる知識とは違い、総合的で実証的な事実である。
 武道を通じて、陰陽一体という宇宙の原理を体感し、天体で起きているさまざまな事象についての理解を感覚的に深めているという言い方もできるのだ。
 つまり、こうした武道の鍛錬を通じて得られる内面的な成長が、宇宙の原理や仕組みを感じ取ることに繋がっている。こうした感覚を得てさらに修行を続けることは、宇宙という生命体の一部として全体に貢献する行き方を歩むことを自然にさせるということもできるだろう。
 つまり宇宙の本来的な活動と個人の活動が同じ方向を向き、その個人の活動が宇宙全体に寄与していくことに繋がるのだと言える。

内なる成長を遂げることで、人類史に価値ある文化を生み出せ
 なぜそうした内面的な成長、生成思想的な考え方が大事なのだろうか?
 先の東日本大震災では津波の破壊力によってあらゆる物質的な存在が一瞬にしてなくなってしまった。しかし物質的な存在がなくなったからと言って、あの津波で流された地域が「無」になったかと言うとそうはなっていない。
それはそこに住んでいた人たちの社会集団としての成長の実態があり、社会を成長させようとして先祖代々に亘ってつくりあげられてきた物質とは別のものが存在するからだと言えないだろうか。だからあれだけ物質的な存在が破壊された状態になっても、次なる再生のための精神的文化的基盤がその地域の人々の中に残されているのであろう。
 これとは対象的に、都会の無機質な近代的なオフィス街で同じように物質的存在が破壊されたとしたら、そこには何も残らず、物質の崩壊と共に全て無に帰してしまうのではないだろうか。
 内面的な成長や発展を目的とせずに、ただ外なる尺度に合わせた活動をしているだけでは、一旦その尺度が崩壊したならば、その活動自身が完全なる無に帰す可能性がある。
 通貨などは現代においてもっとも権力のある尺度かもしれないが、その価値(尺度)がある一瞬において崩壊したならば、その後何が残るのだろうか。人がお金を所有することで どんな成長をきたすというのか。そう考えるならば、その通貨の獲得のために行っている活動とは一体何を生んでいるのだろうか。
 日本においてはこうした武道が本来追究している内面的な変化を目的とした業の名残のような訓練が、さまざまなスポーツの中にも無意識に取り入れられている。
 例えば、野球でひたすら素振りに没頭するような練習、肉体の限界を超えるような千本ノックのような練習が今でも残っている。これは何か特定の筋肉を鍛えるといった外の尺度でみた科学的な理論で言うならば、マイナスの効果の方が多い練習法であり、それゆえ米国のスポーツ界では決して取り入れられない方法だ。
 なぜなら科学的な合理性で考えれば意味のない練習だからである。しかし、日本人はそうした非合理性の中に、このようにひたすら一つのことに没頭し打ち込んだ先に、言葉では言い表せない何らかの感覚を手に入れることが出来ることを経験的に知り、それが「重要である」と考えている。
 人は生れ成って成長をしていく。その成長とは本来、内面的な進化・発展を遂げることであり、宇宙の原理を感覚として体得していくことである。
 「国家には経済成長が必要」などという現代社会にあたかも標準であるかのように存在しているさまざまな外の尺度に惑わされることなく、真の内なる成長を遂げることで、人類史に価値のある文化を生み出すことが、日本人に求められているのではないか。

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