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【平成31年・令和元年】

夏号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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明治神宮鎮座百年祭記念
明治神宮鎮座百年祭記念

内陣屏風が完成「日月四季花鳥」 日本画家 手塚修二氏

明治神宮鎮座百年祭記念事業として「内陣屏風」が新調され、このほど完成した。

絵を描いたのは、日本画家の手塚雄二氏。「日月四季花鳥(じつげつしきかちょう)」と題された。今年8月の本殿遷座祭で御祭神がお遷(うつ)りになる前に内陣(正確には内々陣)に納められる。

創建以来、昨年の仮殿遷座祭までおよそ百年間にわたって御祭神のおそばに飾られていた旧内陣屏風は、遷座を機に修復が施され、今年10月26日に開館する「明治神宮ミュージアム」で公開される予定だ。

新調された内陣屏風は奉納を前に...

 

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手塚 雄二(てづか・ゆうじ)

昭和28年、神奈川県生まれ。東京藝術大学在学中に院展初入選、故・平山郁夫に師事する。平成元年から3年連続日本美術院賞を受賞。東京藝術大学美術学部絵画科日本画教授、日本美術院同人・業務執行理事、横山大観記念館理事、福井県立美術館特別館長を務める。

代々木の杜とヒトとの話
代々木の杜とヒトとの話

国立科学博物館館長 林良博

明治神宮が行った「鎮座百年記念 第二次明治神宮境内総合調査」は、鎮座五十年の植物を中心とした調査から大きく動物相まで範囲を広げた。これは、皇居の生物相調査を指標にすることで比較検討等が可能できるのではと試みたことだった。国立科学博物館では、天皇陛下御即位三十年記念として、企画展「天皇陛下の御研究と皇居の生きものたち」(2月13日~3月31日)を開催した。第二次境内総合調査の委員でもあり、国立科学博物館の林良博館長にお話を伺った。

 

大切な武蔵野の自然

明治神宮の杜は、皇居、そして私共の国立科学博物館附属自然教育園と共に、大きく言えば“武蔵野の面影を残す”自然です。  日本はフォッサマグナという大地溝帯――東日本と西日本が一度離れて、海だった部分が隆起して一つの帯になっているところ、ここの自然は大切にしていく価値があります。ここに武蔵野も入っています。ただ、そういうローカルな話ではなく、世界的に見ても生物多様性をいかに保全していくかというのは、大きな課題になっているわけです。

 

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林 良博(はやし・よしひろ)

昭和21年生まれ。東京大学農学部卒業後、同大学助教授、ハーバード大学客員研究員、コーネル大学客員助教授、東京大学大学院教授を務めた。山科鳥類研究所所長、東京大学総合研究博物館館長、ヒトと動物の関係学会会長、国際捕鯨委員会技術委員会委員なども務めた。

聖蹟を歩く 第34回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(8)
聖蹟を歩く 第34回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(8)

(一戸町)緑豊かな林の中に建つ軽井沢野立所の記念碑

一戸町の「ヨノ坂」

明治14年(1881)8月24日、東京を発って24日目、明治天皇は岩手県北部の旧奥州街道を進み、今の岩手町からへ入られました。山あいの道を進み、の坂を登り詰めた地点でお休みになっています。軽井沢野立所です。跡地には、「明治天皇御休憩之跡」碑(昭和八年建碑)があります(写真)。一戸町は、街道の各所に史跡案内の標示物を設置しているため、林の中に建つこの記念碑を見逃すことはありません。

「ここは奥州街道最高地点 標高四八四m」の標示物を経て集落へ進むと、その先には、集落へ至る「ヨノ坂」の難所が待ち構えています。坂の入口には、一戸町教育委員会が設置した解説があり、道を先に進むのを躊躇させる内容でした。

山あいの沢に沿って進む「ヨノ坂」について、明治九年の巡幸に際し、「この区間も玉砂利を敷いて通行しやすいように」工事が行われる予定であったが、「ヨノ坂の路面の状態が悪く、また工事区間も長かったことから人手が不足することとなり、結局は簡易な修繕」のみとなった。したがって、今でも「往時の景観を残す」区間である、との解説です。天皇の巡幸に際しても、十分な整備ができないほどの難所であったことが分かります。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。

「資料に見る明治神宮とその時代」
「資料に見る明治神宮とその時代」

第16回『遷座祭関係書類綴』

昭和33年10月31日、代々木の杜が暮色(ぼしょく)に染まる頃、本殿遷座祭遷御(ほんでんせんざさいせんぎょ)の儀が斎行。浄闇(じょうあん)の中、六千名もの参列者の祈りに包まれ、両御祭神の御霊代(みたましろ)が新社殿にお遷(うつ)りになりました。明けて1日から14日まで奉幣の儀、例祭、奉祝祭等の斎行と共に、関係団体による境内外での様々な奉祝奉納行事が催され、全国津々浦々から、数百万に上る参拝者を迎え、代々木の杜は賑やかな別天地、清々しい檜の香が満ちたのであったと、『明治神宮五十年誌』等に記されています。

 

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