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【平成30年】

夏号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

[明治神宮崇敬会のお申込み]

明治維新150年/西郷隆盛と日本の近代思想史 日本人としての「ものさし」を持つために
明治維新150年/西郷隆盛と日本の近代思想史 日本人としての「ものさし」を持つために

先崎 彰容 c新潮社

「国」のあり方を論じた先人

言うまでもなく、今年は明治維新150年目の節目にあたる。NHK『西郷どん』を意識しているからか、昨年だけで百冊以上の西郷関連本がでたという。つまり明治維新は「西郷隆盛」という一人物に象徴されているわけで、僕らが明治維新について考える際、西郷隆盛の眼をつうじて、時代を理解しているわけである。

平成30年の現在ばかりでない。西郷隆盛は、生前はもちろん、死後直後から圧倒的な存在感をもって日本人を魅了した。市井の人ばかりではない、同時代人の福澤諭吉や中江兆民、さらには玄洋社の頭山満(とうやまみつる)や、その知的血統を受け継ぐ葦津珍彦(あしづうずひこ)、さらには戦後の三島由紀夫や司馬遼太郎など、自分自身が知の巨人として名を遺すことになる人たちが、西郷を仰ぎ見ていたのである。

 

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先崎 彰容(せんざき・あきなか)

昭和50年東京生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程修了、フランス国立社会科学高等研究院に留学。著書に『ナショナリズムの復権』(ちくま新書)、『未完の西郷隆盛』(新潮選書)、『ビギナーズ日本の思想 文明論之概略』(角川ソフィア文庫)等。

明治神宮と私
明治神宮と私

明治神宮総代 元国連大使 大島 賢三

――平成24年から明治神宮総代、至誠館運営委員をお務めいただいています。

私は学生時代に田中茂穗先生(明治神宮至誠館名誉館長)に合気道のご指導を受けました。

社会に出て、例えば国連の人道担当事務次長というのは実に厳しい仕事です。紛争や自然災害に起因する緊急人道支援の調整をやらなければならない。中東やアフリカに行けば時差と体力との戦い。会議を開く、マスコミに説明する、それも英語で――本当に潰れそうになるのですが、そういうときに田中先生から「頑張れ」と何度か激励の手紙をいただきました。これがたいへんな励みになりました。何らかの形でお役に立てればと思ってお引き受けしましたが、祭典に参列すると精神が清められる感じがしまして、ありがたく思っております。

 

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大島 賢三(おおしま・けんぞう)

昭和18年、広島県出身。昭和42年、東京大学法学部を中退し、外務省に入省。同省経済協力局長、総理府国際平和協力本部事務局長を経て、国際連合事務局事務次長(人道問題担当)、在オーストラリア特命全権大使、国際連合日本政府代表部特命全権大使を務めた。

明治神宮鎮座百年祭記念出版
明治神宮鎮座百年祭記念出版

『明治神宮の建築-日本近代を象徴する空間』

近代の神社建築というテーマ

明治神宮といえば「杜(もり)」ですが、私はその建築にも歴史的価値があると考えています。

私は、近代建築史の研究者です。建築思想やデザインの考察がおもな研究テーマで、「建築における『日本的なもの』」について若い頃から論文を発表してきました。このテーマに対する私の基本的立場は、「真の伝統理解・伝統表現は存在しない。それは解釈に依存する」というものです。この問題に関わる課題ということで、近代の神社建築には興味をもっていました。

内苑の社殿は「復古」に忠実なように見えますが、それは「伝統」を近代の知で解釈し直して、近代の用途にあわせて再構成したものです。明治時代に成立した日本建築史が、その設計を支えています。たとえば、流造(ながれづくり)とか神明造(しんめいづくり)というような、神社本殿の様式分類自体が近代の産物です。その様式の特徴が日本建築史によって定義づけられれば、それが今度は、神社の設計を規定することになるわけです。

 

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藤岡 洋保(ふじおか・ひろやす)

昭和24島県生まれ。東京工業大名誉教授、明治神宮国際神道文化研究所特任研究員。東京工業大学院博士課程修了。工学博士。主な著書に『近代の神社景観』(共編者、中央公論美術出版)、『表現者・堀口捨己─総合芸術の探究─』(中央公論美術出版、日本建築学会賞(論文))、『近代建築史』(森北出版)。

聖蹟を歩く 第30回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(5)
聖蹟を歩く 第30回 明治14年北海道・秋田・山形巡幸(5)

(名取市)夕陽に映える「衣笠の松」

衣笠の松

明治14年(1881)8月、夏の盛りのこの時期、明治天皇は北海道へ向けて東北地方を北上されています。11日のご宿泊は、岩沼の竹駒神社です。宝暦2年(1752)に造営の行(あん)在(ざい)所(しょ)の建物は、かつては文部省指定の聖蹟で、長く社務所の一部として活用されました。

翌12日は、仙台へ至る行程です。

増田の小休所(菊池邸)は、明治9年に続く2回目のご滞在です。前回のお立ち寄りに際して、邸内の松の古木が「衣笠の松」と命名されました。巡幸に随行していた木戸孝允の短歌「大君のたちよりましゝ陰なれば衣笠とこそいふべかりけれ」に因みます(『明治天皇聖蹟 東北北海道御巡幸 巻上』)。「衣笠」は高貴な方の頭上にかざす天蓋(てんがい)のことで、松の古木が巨大な「衣笠」に見立てられたのです。明治14年の巡幸後には、樹下に「衣笠松記碑」が設けられました。巡幸に随行していた左大臣の有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が題字を書いています。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。