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【平成22年】

秋号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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鎮座90年記念インタビュー 「毎朝 明治神宮でお祈りしています」
鎮座90年記念インタビュー 「毎朝 明治神宮でお祈りしています」

鮫島 純子

現在も資料館として残っております渋沢栄一終焉の邸宅のごく近くで私は大正十一年に生まれました。祖父が亡くなりました時は十歳でございます。明治神宮御創建に祖父がかかわっていたということを存じましたのは、今から十年程前にある所で「どうしてそんなにお元気なんですか?」と聞かれましたので、「毎朝明治神宮にお詣(まい)りして、神域の気と緑のエネルギーをいただいておりますからでしょう」とお答えいたしましたら、「朝からおじいさまの恩恵を蒙(こうむ)っておいでですね」とそこで初めて教えていただきました。

明治時代、天皇様の御心と共に生きた全国民がどんなにか大帝としてお慕い申し上げておりましたか!!栄一は当時の皆様のお気持ちをそのまま汲み上げ、御創建を実行に移せたということなのでございましょう。

 

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鮫島 純子(さめじま・すみこ)

大正11年、渋沢栄一氏の三男・正雄氏の次女として東京に生まれる。昭和17年、昭和天皇の侍従武官であった鮫島具重(ともしげ)氏の長男・員重(かずしげ)氏と鈴木貫太郎夫妻の仲人で結婚。平成11年に夫を自宅で見送るが、看護中に描いた絵を元に『あのころ、今、これから』『毎日が、いきいき、すこやか』(共に小学館)を出版して好評を博している。

教育勅語における三大重要点
教育勅語における三大重要点

私が通っていた国民学校は、四国は愛媛県の東部農村、それほど田舎ではない。私は大阪で生れ育ち、昭和二十年春に父の郷里の同地に疎開し、敗戦を迎えた。ごくふつうの子どもであった。

級長であった私は、鬼畜米英に敗れた日本は、必ず彼らに復讐しなければならないと主張し続けていた。しかし、その主張が教師に通らなくなったころ、ふと気づいたのは、教育勅語奉読がいつのまにかなくなっていたことであった。

 

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加地 伸行(かじ・のぶゆき)

昭和11年、大阪生まれ。大阪大学名誉教授、立命館大学教授。昭和35年、京都大学文学部を卒業。高野山大学、名古屋大学等を経て現職。中国哲学史専攻。著書に『論語』(講談社学術文庫)、『「史記」再説』(中央文庫)、『日本は「神の国」ではないのですか』(小学館文庫)など多数。

十二徳の実践者「義勇」
十二徳の実践者「義勇」

本木 雅弘

現代は細かい好みで自分の行く道を決められる分だけ、逆に人間の幅が狭く、迷いやすくなっているようです。明治の時代は地方に行けば大人でも草鞋ひとつ履いていない人もいるわけですが、司馬さんがいうように、人々はそれを不幸と捉えていなかった時代です。憲法が制定されれば、未来をより明るいものと想像して無邪気に祝う。お国に対して新鮮な愛情を持って接することが自然だった時代。そういう時代が持っている「義勇」の感覚と、その後、昭和の敗戦を経て、また、戦争を知らない世代がいるという、いまの「義勇」とでは、意味の深さや、色合いが違うのではないかと思います。

 

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本木 雅弘(もとき・まさひろ)

昭和40年、埼玉県出身。「シブがき隊」として歌手デビューし、解散後は俳優として活躍。平成20年、自らが発案した主演映画『おくりびと』が、日本映画史上初となる米アカデミー賞外国語映画賞を受賞したのをはじめ、国内外の数々の賞を受賞。

聖跡を歩く 第四回 明治九年奥羽・函館巡幸(上)
聖跡を歩く 第四回 明治九年奥羽・函館巡幸(上)

今回の奥羽巡幸は、明治五年の九州・西国巡幸に続いて、その翌年に予定されていましたが、征韓論問題に端を発した政府の分裂(明治六年の政変)、翌年の佐賀の乱や台湾出兵などの影響により延び延びになっていました。巡幸が予定されていた地方の多くは、明治維新に際して新政府軍に抵抗したところでしたから、いち早い巡幸が待望されていたと言えましょう。

今回は、松島へ至る六月中の巡幸について取り上げます。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。