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【平成28年】

秋号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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明治神宮外苑創建九十年を記念し聖徳記念絵画館が初の特別展
明治神宮外苑創建九十年を記念し聖徳記念絵画館が初の特別展

「スケッチブック」を囲んで

初公開の「スケッチブック」

打越 今回の特別展示では、新たに発見された、「二世五姓田芳柳のスケッチブック」の初公開が実現しました。このスケッチブックを発見された角田先生からお話しください。

 

角田 発見されたスケッチブックは大正7年から8年にかけて、絵画委員会の調査の折、それぞれの場所でスケッチしたものになります。

大正7年、絵画館をつくるにあたり、何をどう描くのかというのを、手探りで進めていく、その一歩目がわかります。ひじょうに面白い。細かいところ、史実にこだわった絵画なのですが、最終的な絵の仕上がりを意識して、画中の空間に人を動かすことを前提としたスケッチとなっています。空間を広くとることから、完成の具体的な構想がすでにあったと垣間見えます。おそらくは明治30年代以降に流行したパノラマ館という存在が念頭にあったと思われます。大画面の壁画をつくって、明治天皇あるいは明治時代をきちんと記録するんだ、よりドラマチックな絵画として仕上げるんだという意図が、最初のスケッチブックの段階からわかります。

これまでは、文献資料だけが絵画館のはじまりとして知られるばかりでしたが、きちんと絵画資料としても裏付けられてくるのは、美術史学的にも意義深いと思います。

 

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岩壁 義光(いわかべ・よしみつ)

昭和25年、東京都生まれ。元宮内庁書稜部編修課長、学習院大学史料館客員研究員、法政大学大学院・清泉女子大学非常勤講師。神奈川県立歴史博物館主任学芸員を経て、平成2年「昭和天皇実録」編修のため宮内庁に異動、同23年退官。『太政官期地方巡幸資料集成』、『黒船来航譜』など多数の編修書がある。

 

角田 拓朗(つのだ・たくろう)

昭和54年、東京都生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程中退。平成18年より、神奈川県立歴史博物館学芸員。五姓田派を中心に、日本美術史学史や美人画など幅広く近代日本美術史をフィールドとして研究活動を行う。『五姓田義松史料集』、『絵師五姓田芳柳 義松親子の夢追い物語』などの編修書がある。

 

藤井 正弘(ふじい・まさひろ)

昭和44年、千葉県生まれ。平成4年に玉川大学芸術学科美術専攻陶芸科を卒業し、同年、明治神宮外苑に奉職。平成25年より聖徳記念絵画館副館長に就任。外苑奉献90年に際し、聖徳記念絵画館での特別展の企画を担当している。

 

打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県生まれ。明治神宮国際神道文化研究所主任研究員。現在、日本全国に遺されている御祭神の聖蹟調査を継続中で、本誌および研究所の機関誌『神園』に聖蹟について連載している。著書として『御歌とみあとでたどる明治天皇の皇后 昭憲皇太后のご生涯』などがある。

代々木の杜のクモのはなし
代々木の杜のクモのはなし

小野 展嗣(国立科学博物館 研究主幹)

差があるクモのイメージ 欧米は「編み物上手な少女」

日本では、とにかくクモが嫌い!という方が多いのですが、西洋では、クモは「編み物が上手な少女」のイメージです。原典はギリシャ神話。その少女の名前を「アラクネ」といい、それがクモ類の学名「アラクニダ」の語源となっています。英語でも女性形で、heではなくsheで受けます。ですから、スパイダーマンは異例のヒーローと言えるでしょう。

日本の古典では古事記、日本書紀に出てくる土蜘蛛がもとになっておりまして、一説には朝廷に刃向かった地方豪族らしいのですけれども、最初から「悪者」というレッテルを貼られています。能でも「土蜘蛛」の面の「しかみ」がいちばん恐ろしい。平家の怨霊がのり移って人を苦しめる妖怪(蜘蛛)を源頼光が退治するというストーリーです。

でも、実際は、そんなに悪い生き物ではないのです。日本でスズメバチなどに刺されて亡くなる人が年間20人くらいいますが、クモの刺咬(しこう)による死亡は有史以来まだ一例もありません。

 

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小野 展嗣(おの・ひろつぐ)

昭和29年、神奈川県生まれ。国立科学博物館動物研究部研究主幹、九州大学大学院客員教授。理学博士(京都大学)。アジアクモ学会前会長。ワールド・スパイダーカタログ編集委員。『クモ学・摩訶不思議な八本脚の世界』(東海大学出版会)、『動物学ラテン語辞典』(ぎょうせい)、『危ない生き物図鑑』(監修/PHP研究所)など著書多数。

聖蹟を歩く 第23回 明治13年甲州・東山道巡幸(7)
聖蹟を歩く 第23回 明治13年甲州・東山道巡幸(7)

(土岐市)馬車から輿へお召換えになった場所には、山県有朋が書いた「聖徳無窮」碑が天高く聳える

多治見へ

明治13年(1880)6月29日、明治天皇は岐阜県の大井行在所(あんざいしょ)(伊藤邸)を発ち、下街道(したかいどう)を多治見へ向けて進まれます。その日の午後、神明峠を控える土岐口(ときぐち)に到着、馬車から輿(こし)に乗換えられました。

現在、その場所には、「聖徳無窮」碑(大正8年建立)が聳え立ち(写真)、副碑として「明治大帝駐蹕(ちゅうひつ)碑」と「万古無窮」碑が遺されています。駐蹕碑の柱頭には、県立多治見工業学校が製作した鳩の工作物が置かれて、彩りを添えています。近くにはバス停「御幸町」があります(「みゆき探訪記⑧」本誌前号)。

天皇は、巡幸に際して新たに開かれた新道を経て、多治見行在所(西浦邸)に到着されました。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。

資料に見る明治神宮とその時代
資料に見る明治神宮とその時代

第5回『明治神宮復興奉賛芳名簿』

…略…終戦間もなく、世間一般の復興もままならぬ厳しい時節、鷹司信輔(たかつかさのぶすけ)宮司らによる全国各地への献金懇請の旅は、在京の日も入れておよそ一年余りに及び、あるときには過密な行程のため、駅の待合室で一夜を過ごした日もあったと伝わります。

また、海を越え、北カリフォルニア、カナダ、ブラジルで奉賛組織が結成されたほか、各国の領事館や日本人会の斡旋によって多額の奉賛が献納されました。

 

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