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【平成28年】

新年号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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表紙の写真について

御杣始祭(みそまはじめさい)

老朽化した明治神宮第一鳥居(原宿口)の建て替えのため、その御用材として、平成26年12月6日、奈良県吉野郡川上村の山中で行われた御杣始祭(みそまはじめさい)。小雪が舞う中、注連縄を張った大杉の前で祭儀をおこなった後、杣夫(そまふ)が三方から斧を入れ、神々しい音が森の中に響きました。鳥居の完成は平成33年の見通し。

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明治神宮外苑創建90周年 明治神宮崇敬会創立70周年を迎えて
明治神宮外苑創建90周年 明治神宮崇敬会創立70周年を迎えて

聖徳記念絵画館壁画をご観覧になる天皇皇后両陛下(昭和12年4月20日)

平成28年は外苑創建90周年、崇敬会創立70周年の年にあたります。

明治神宮は御神霊がお鎮まりになる内苑とともに、御祭神の御事績を壁画によってたどる聖徳記念絵画館を中心に野球場等スポーツ施設のある外苑とで成り立っています。さらには、先の大戦に敗れた後、GHQ(連合国軍総司令部)の「神道指令」によって国家の管理を離れた明治神宮を奉賛するため、崇敬会が結成されました。

来る平成32年、明治神宮は鎮座百年を迎えますが、外苑創建90年と崇敬会70周年を機に、改めて歴史を振り返り、内苑と外苑の存在意義と崇敬会の果たすべき役割について思いを致し、大きな節目に向かって気運を高めていきたいと思います。

 

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明治神宮と私
明治神宮と私

三村明夫(明治神宮崇敬会会長・日本商工会議所会頭・東京商工会議所会頭)

腹にしみた大太鼓

就任の参拝は、びっくりしました。大きな太鼓の音が鳴って、外(拝殿の外側)にはたくさん参拝者がいましてね。腹にしみこむような太鼓の音で、「これで私も責任役員・総代になったんだ」と実感しました。

崇敬会の会長は、2代目(初代は鷹司信輔宮司)の高橋龍太郎さん以降、東京商工会議所の会頭が就いています(三村会長は9代目)。

明治神宮と商工会議所には浅からぬ縁があります。明治天皇が崩御された直後から、東京に神社が造営されるよう、渋沢栄一初代会頭、中野武営(ぶえい)会頭らが有志委員会を立ち上げ、請願運動を展開しました。

 

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三村 明夫(みむら・あきお)

昭和15年、群馬県生まれ。

同38年、富士製鐵株式会社(現・新日鐵住金株式会社)入社、平成5年新日鐵株式会社取締役、同15年代表取締役社長、同20年代表取締役会長を歴任し、同24年には経営統合により新日鐵住金株式会社取締役相談役、同25年に相談役名誉会長となる。同年11月、日本商工会議所・東京商工会議所会頭に就任。

明治神宮と私
明治神宮と私

長嶋 茂雄(読売巨人軍終身名誉監督)

 

編集部:巨人軍の監督時代もお一人でお参りされている姿を見かけた人がいます。

 

長嶋:プロ野球に入っても、よく来ていました。日本選手権では、朝、さっときて明治神宮にご挨拶して帰って行った、なんてよくあります。やはりなんというか、励みというか、男の、人間の生きる意味を神に……。日本人はそういうものは持っていますからね。特に野球人はそういう気持ちが強いんですけど、他の選手よりも僕は強い。いま、79歳になりますけれども、いつまでたっても、そういうものは大きいですね。

最初は、“いい選手”になるにはどうしたらいいか、と考えたんですね。練習はもちろんたくさんします。だけど、それだけではいい選手にはなれないんじゃないか。生きる意味は何か……と。

 

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長嶋 茂雄(ながしま・しげお)

昭和11年、千葉県生まれ。佐倉一高から立教大学へ。昭和33年、巨人軍へ入団。49年に現役引退後は監督を務める。現役時代は新人王、最優秀選手5回、首位打者6回、ゴールデン・クラブ賞2回などを獲得している。63年、野球殿堂入り。平成25年に国民栄誉賞受賞。

代々木の杜のはなし
代々木の杜のはなし

森嶌 昭夫(名古屋大学名誉教授)

明治神宮で“新しい科学”の創造を

編集:第二次境内総合調査委員会では、2年間にわたって委員会を開き、調査の中間報告を交えながら議論を交わしたが、森嶌氏は「新しい科学の創造を」と、発言されるなど、明治神宮ならではの成果を求められた。

 

森嶌:今回の調査委員会のメンバーはさまざまな立場の人間が集まったことが良かったと思います。ただ、学者は自分の専門のことしか言わない。僕は法律のことしかわかりませんけどね。だけど、多くの生物の専門家が集い、議論をしているんだから、明治神宮を拠点とした新しい科学を創造してほしい。座長を務めた進士五十八先生は素晴らしい才能をもっていて、委員会の回数は少なかったですが、結果として様々な要素が調和しました。

また、せっかくあれだけの学者が集まったのですから、今後も議論して、社会と学界に還元していくことが学者の仕事だと思います。ここで得られた知見が他でどう使えるか。東北の復興などにも考えられればいい。

 

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森嶌 昭夫(もりしま・あきお)

昭和9年生まれ。東京大学法学部卒業後、名古屋大学教授を経て、ハーバード・ロースクール客員教授、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学法学部客員教授、名古屋大学法学部長等を歴任。中央公害対策審議会委員、国民生活審議会消費者政策部会長、原子力委員会委員にも就いた。ベトナム社会主義共和国友誼勲章、カンボジア王国友好勲章、瑞宝中綬章等受章。名古屋大学名誉教授、内閣法制局参与。