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【平成24年】

春号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

[明治神宮崇敬会のお申込み]

明治神宮と私
明治神宮と私

川﨑里子(明治神宮総代・崇敬婦人会会長)

父も母も神道の家で育ちましたので、ことあるたびに手を合わせるということはございました。近くの神社の神職の方が家に来てお祓いをしていただき神に祈るということが自然に身についてきたように思います。

 

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明治神宮と私
明治神宮と私

白鵬 翔(横綱)

昨年6月、震災の被災地に慰問巡業に行って、一日二回、土俵入りをしました。初めてです、一日二回の土俵入りなんて。なんとも言えない風景でした。五日間で十カ所まわってやったんですが、土俵入りする場所もないから、避難所の小学校のちょっとした高台とかで、海のほうに向ってやるんですよ。

(中略)

そして、すごいことがあったんです。被災地から帰ったあと、3月11日からずっと続いていた余震が、我々が行った次の日から嘘のようになくなった、と聞きました。

 

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白鵬 翔(はくほう・しょう)

1985年モンゴル国出身。父親はモンゴル相撲の横綱で、レスリング選手としてメキシコオリンピックでは銀メダル。母親は医師。中学時代はバスケットボール選手として活躍。平成12年に来日し、宮城野部屋に入門した。著書に『相撲よ!』(角川書店)。

明治神宮と私
明治神宮と私

ぺマ・ギャルボ(桐蔭横浜大学大学院教授)

震災の後、陛下が直接国民に対してお言葉を述べられたのを拝見して、やはり世界で最も古い皇室の重みというのを、私でさえも感じることができたし、また、天皇皇后両陛下が被災地に行かれて、そこで接した後の国民の顔をみると、潜在的に持っている絆というものが、濃厚に残っているという印象をもちました。

 

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ぺマ・ギャルボ

1953年チベット生まれ。ダライ・ラマ法王に従い、インドへ亡命、昭和40年に来日。平成17年、日本に帰化。拓殖大学客員教授、チベット研究所名誉所長。『中国が隠し続けるチベットの真実』(扶桑社新書)等著書多数。

聖蹟を歩く 第9回 明治11年北陸・東海道巡幸(3)
聖蹟を歩く 第9回 明治11年北陸・東海道巡幸(3)

巡幸路は再び海沿いに戻り、天皇はこの日の行在所である曹洞宗の名立寺(みょうりゅうじ)に到着されました。雨の中、奉迎のために近郷近在から集まった人々で町は溢れんばかりでした。現在、名立寺の表門には「明治天皇御聖跡」の標札が掛けられ、境内には文部省の聖蹟碑が残されています。寺の話では、再建された現在の本堂、配置された庭石などが巡幸当時の面影を伝えているといいます。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神 宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随 想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。