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【平成27年】

春号

『代々木』は、明治神宮・明治神宮崇敬会が発行する季刊誌です。

我が国の美しい伝統精神を未来に伝えるため、昭和35年より刊行をつづけております。

明治神宮崇敬会の皆様にお送りしております。

 

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時代が変わっても変わることのない和歌の伝統 宮内庁書陵部図書調査室 豊田恵子研究員に聴く
時代が変わっても変わることのない和歌の伝統 宮内庁書陵部図書調査室 豊田恵子研究員に聴く

日常としての和歌

編集部 明治天皇、そして昭憲皇太后も、驚くほど多くの和歌を詠まれていますが、どうしてこれほどまでに、と現代の私共は考えるのですが。

豊田 それはわからないのですけれども、生活の中に和歌があるのが当然のことだったので、意識して詠もうというものではなかったのではないでしょうか。明治天皇は月次(つきなみ)会とか臨時の会だけでなく、毎日のように臣下や女官、皇后へも題を下賜しているのですね。毎日、歌に囲まれて生活されている。これはもう、努力ではなく、日常であり、生活の一部ではなかったのかと。

高﨑正風の回顧録で読んだのですが、明治天皇のお詠みになるのが多いので、「もう少し絞って詠まれたらどうですか」と言うのですが、明治天皇は「うふふ」と笑って、その後も同じように詠まれた、と。楽しみだったのだと思います。そうでないとあんなに多くは詠めなかったと思うのですよね。

よく、大きな出来事があって、詠む歌が増えた、と言われますが、個人的にはどうかなと思っています。出来事が起きる前も詠まれていて、ある出来事が起こって、それに対する和歌が増える、というのはわかりますが、そのことをきっかけに恒常的に増えていく、ということはないのではと思います。公に出ていないだけで、詠まれていたと思うのです。

 

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鎮座百年記念第二次明治神宮境内総合調査委員に聴く 明治神宮の鳥のはなし
鎮座百年記念第二次明治神宮境内総合調査委員に聴く 明治神宮の鳥のはなし

(公財)日本鳥類保護連盟元理事 柳澤紀夫

鳥の博士・鷹司宮司のご縁で観察会

編集部:明治神宮は、日本のバードウオッチング発祥の地。敗戦後間もない昭和22年から毎月、野鳥観察会を行っており、他に類のない長期的な記録を持っている。

柳澤:観察会を始めた当時、明治神宮の宮司さんが、鷹司信輔先生という、日本を代表する鳥学の大先生だったんですね。

鷹司宮司は、鳥関係者として日本野鳥の会を創設した中西悟堂会長と親交がありました。鳥を“飼育”するのではなく、自然の中でその様子を見る、ウオッチングをしようと呼びかけて昭和9年に創設したのが日本野鳥の会です。

その日本野鳥の会東京支部でどこか1ヵ所、鳥を見に行く定点としたい、と鷹司先生にお話ししたところ、「それはいい、すぐにやりなさい」と、明治神宮での鳥の観察会(野鳥の会では探鳥会と呼んでいます)にご賛成いただいて、以来つづけさせていただいています。

私も、中学生の時に日本野鳥の会東京支部に入り、参加させてもらうようになりました。当時も代々木の鳥居のところに集まって、歩いて内苑をみせてもらって昼には解散でした。中学の頃の記憶からすると、今は両側から覆われている原宿からの参道は空が開けて見えていました。

 

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柳澤 紀夫(やなぎさわ・のりお)

昭和16年、東京生まれ。同39年、東京農業大学造園学科卒業後、財団法人日本鳥類保護連盟職員となる。平成6年より20年間にわたって同連盟理事を務め、その間、日本鳥学会の『日本鳥類目録』改訂7版編集委員長や環境省トキ野生復帰専門家会合委員などの要職にもついた。鎮座50年記念の『明治神宮境内総合調査報告書』でも執筆。

聖蹟を歩く 第17回 明治13年甲州・東山道巡幸(1)
聖蹟を歩く 第17回 明治13年甲州・東山道巡幸(1)

(八王子市)明治天皇の聖蹟となった小仏峠には、「明治天皇小仏峠御小休所阯及御野立所」碑が遺されている

小仏峠を越えて

17日(注:明治13年6月17日)、八王子を発った天皇は小仏峠(こぼとけとうげ)を目指されました。市街地では、臨時に陳列された生糸や織物などの物産を馬車の中からご覧になり、峠を間近にした小仏小休所の鈴木家で輿(こし)に乗り換えられました。

<中略>

峠上には天皇が休憩されたことを記念する聖蹟碑(写真)や随行していた三條実美の歌碑が建立されました。

小車(おぐるま)のをすまきあけ(げ)てみつるかな朝日輝くふし(じ)の白雪

天皇の命を受けて三條は高尾山薬王院に詣でました。短歌はその際に詠まれたもので、こかい(蚕飼)つまり養蚕・製糸や絹織物業でにぎわう甲州路のようすが詠まれています。

 

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打越 孝明(うちこし・たかあき)

昭和35年、茨城県水戸市生まれ。早大大学院に学び、同大学助手や大倉精神文化研究所専任研究員などを経て、現在明治神宮国際神道文化研究所主任研究員および早大非常勤講師を務める。著書に『絵画と聖蹟でたどる明治天皇のご生涯』、共編著に『日本主義的学生思想運動資料集成Ⅰ・Ⅱ』や『大倉邦彦の『感想』―魂を刻んだ随想録―』、論文に「明治天皇崩御と御製 上・下」(『復刊明治聖徳記念学会紀要』25・26)などがある。