まことの道~教育勅語下賜

 

 世の中のまことの道のひとすぢに

      わが国民ををしへてしがな

 

 「教育に関する勅語」が渙発になったのは明治23年10月30日のことです。これによってわが国の道徳の基礎、教育の理念が明確となりました。

 明治23年5月、榎本武揚(たけあき)に代わって芳川顕正(あきまさ)が文部大臣に任命されました。親任式の後、天皇は時の内閣総理大臣山縣有朋と芳川を召して次のようにお示しになりました。

「教育は国家の重大事であるから、特に頑張ってほしい。ついては総理大臣と協議して教育に関する箴言(しんげん=格言)を起草するように」

 芳川は国民教育に関する深いお考えに感銘し、日本の道徳や教育の根本とはなにかという大切な問題に思いをめぐらし、この大役を果たすことを強く決意しました。そして山縣首相と話し合って、まず文部省で案を立てることになりました。

 はじめにその任にあたったのは、前東京帝国大学教授の中村正直(まさなお)ですが、山縣と芳川はこの案に満足できず、法制局長官の井上毅(こわし)に改めて草案の制作を依頼しました。そして両者の草案が浄書されて天皇のもとに届けられますと、天皇はこれを比較検討されたうえで元田永孚に、

「これを全体として更に熟考するように」

と指示をなさいました。

 以後、天皇のご意見をもとに文章の修正が幾度となくおこなわれました。とくに「爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ」から「天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スベシ」にいたる部分は天皇がもっともお気持ちを注がれたところで、そのご意向は元田によって井上に伝えられ、それを井上が美しい勅語として整えました。

 

   いかならむ時にあふとも人はみな

      まことの道をふめとをしへよ

 

 教育勅語は「世の中のまことの道」を国民にきちんと教えたいという、明治天皇の深く尊い大御心のあらわれです。その後半世紀にわたって学校教育ばかりでなく、日本人の人間形成の指導理念となり、明治・大正・昭和の時代を通じて日本の発展の精神的な基となっていったのです。

 

【聖徳記念絵画館壁画「教育勅語下賜」】

まことの道~教育勅語下賜