皇孫へのお心遣い

 

 明治天皇の皇孫にあたられます昭和天皇は明治34年4月29日にご誕生になり、秩父宮雍仁(やすひと)親王は翌35年6月25日、高松宮宣仁(のぶひと)親王は38年1月3日にお生まれになりました。

 侍従として天皇の側近に奉仕した日野西資博(ひのにしすけひろ)は、天皇の皇孫に対するお心遣いについて「お話とか、お愛想をあそばすということはなかったようでありますが、ただお嬉しそうに御笑みを含んでご覧になっているというようなご様子でした」と後になって振り返っています。各皇孫殿下が参内の折には、明治天皇は厳格ながらも、おのずからあふれでて来る愛情をもってご対面になったものと思われ、その時の情景はお歌のなかからもうかがい知ることができます。

 

  もてあそび手にとらすれば幼子(うなゐご)が

       うちゑむ顔のうつくしきかな

 

 明治36年のお歌ですが、昭和天皇はこの時数え3歳、秩父宮殿下は2歳でいらっしゃいました。このお歌はおそらく皇孫方をお詠みになったものではないでしょうか。いとけない子供が、玩具を手にして無邪気に喜ぶ様子が表現されています。

 

  からくして歩みはじめし人の子の

       ひとりたつ身といつかなりなむ

 

 手をとってもらい、ようやくヨチヨチと危なげに歩くようになった幼な子も、いつかたのもしく世に立つようになるだろうと、子供に寄せる親の心をお詠みになったものでありましょう。また、

 

  いはけなくあそぶ子どものさまみれば

       われもをさなくなるここちして

 

とあって、無邪気にあどけなく遊んでいる子供を見ると自分も子供になったような気持ちになってしまうという、まことに和やかなご心情をあらわされています。

 一方、天皇は子供を溺愛するあまり、家庭のしつけを疎かにしてはいけないという厳格なおさとしを示されております。

 

  いつくしとめづるあまりに撫子(なでしこ)の

       庭の教をおろそかにすな

 

 このお歌では「なでいつくしむ」という縁語を用いて、子供を撫子の花に例えています。現代の各家庭でもよくあることですが、天皇は過保護のあまり本来家庭で施すべき教育を蔑(ないがし)ろにしてはいけないということを厳しくいましめられております。

 

  ぬけいでしふしを見せなむいやましに

       竹のそのふのしげりあひつつ

 

 これは皇族方に直接に賜ったご訓戒でありましょう。「竹の園生(そのう)」とは皇族をみやびに表現した異称ですが、宮さま方を竹になぞらえ各々が研鑽を積んで、立派な皇族になるようにとの大御心をお示しになったものと思われます。

 

【撫子の花】

皇孫へのお心遣い