陛下のご加護をいただいて突進だ

 

 明治37年2月4日の御前会議で、ロシアとの交渉を断絶することが決まりました。その夜、枢密院議長の伊藤博文は金子堅太郎(かねこけんたろう)のもとを訪ね、次のように要請しました。

「御前会議で開戦が決まったからには、日本政府としてはイギリス・アメリカ両国の政府および人民に、この事情をよく理解してもらうように努めなければならない。そのために、末松謙澄(すえまつけんちょう)君をイギリスに、あなたをアメリカに派遣したい」

 金子は不意の依頼に驚き、最初は固辞しましたが、伊藤の誠意ある説得で事の重大さを理解し、その要請を承諾しました。

 渡米を直前に控えた2月13日、金子は妻子が暮らしている葉山の別邸に赴きました。当時皇后は避寒のため葉山御用邸にいらっしゃいましたが、金子の別邸は御用邸のすぐ隣にありました。

 さて、明くる朝突然、皇后は金子邸にお出ましになり、

「近日、米国に渡航すると聞きました。任務の内容は解りませんが、あたかも日露開戦の時となれば、きっと重大な責務を担っての渡米でありましょう。どうか国家のためにご努力下さい。そのことを直接お話しようと、ここに訪問しました。長期の旅行中、また在米中は、十分健康に留意して下さい」

という、慈愛あふれるお言葉を賜りました。

 金子は感激のあまり、たった一言、

「身命をかけて、必ずご恩に酬(むく)います」

と返答申し上げました。

 皇后はさらに、堅太郎とその妻子にお菓子などを賜り、邸内の庭をゆっくりとご覧になり、しばしご休憩ののちにお帰りになりました。

 金子は、さっそく皇后から賜ったお菓子を東京の本邸に宿泊している近衛師団の将校ら二十余名のもとに送り、事情を報告しました。お菓子を拝受した兵士たちは深く感激し、それぞれ菓子のひとかけらだけをその場で食べ、残りをリュックに納めました。  

 やがて兵士たちは戦地に赴き、進軍の命が下れば恩賜(おんし)の菓子ひとかけらを食べ、「皇后さまのご加護をいただいて突進だ」と誓いあい、出征の途に就いたのでした。

 翌年、近衛師団の将士の代表が、任務を終えて帰国した金子のもとを訪ね、次のように告げました。

「昨年あなたの邸宅に寄宿していた近衛師団将士二十数名は、最大の死傷者を出した奉天での戦いをはじめ多くの激戦に参加しましたが、幸いにも全員無事で凱旋しました」

 のちに金子は宮中に参内し、皇后にこのことを報告いたしましたが、皇后はおそばの者たちに、

「この話は本当に素晴らしく、喜ばしいかぎりです」

とお話しになったそうです。

 

【金子堅太郎】

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

陛下のご加護をいただいて突進だ