今日は暑い
天皇は後年になるにつれ、ややお太りぎみになられましたが、いつも姿勢を正され、椅子に寄りかかられることはありませんでした。侍従職出仕として天皇に仕えた藪篤麿(やぶあつまろ)の談によりますと、
私たちは子供心に、どんなに陛下が端正なお方であっても、ときには姿勢を崩して楽になさることがあるだろうと思っておりましたが、実際は表御座所でも奥にお入りになっても、少しも変化がありません。ついに長い奉仕中一度も姿勢をお崩しになったところを拝見したことはありませんでした。これこそは自然に備わった君主のご容儀であろうと、ただ恐れ入るばかりでした。
明治45年7月10日、天皇は東京帝国大学の卒業式に行幸されました。ふだんは威厳に満ちたお姿でいらっしゃる天皇が、この時ばかりは不思議と椅子の背もたれに寄りかかり、いくらかくつろがれるような姿勢をとられたのです。この頃すでに天皇のお身体の調子はかなり悪くなっておられましたが、教育奨励の強い信念から、猛暑のなかをお出ましになったのでした。それから20日後の7月30日、天皇は御年61歳で崩御されました。
かつて側近のものたちが、
「今日はお暑うございます」
と申し上げますと、天皇はよく、
「夏に寒かったらどうする」
と冗談をおっしゃったり、
「演習のときの兵士のことを思い出すがいい。自然に暑さ寒さは感じなくなるものだ」
とおさとしになりました。めずらしく「今日は暑い」と口にされたのは、7月も下旬、ご発病になる直前のことでした。
【聖徳記念絵画館壁画「東京帝国大学行幸」】
