昭憲皇太后基金
昭憲皇太后は日本赤十字社の創設以来、その社会事業の重要さを認識され、多大なご援助を続けられましたが、赤十字事業の中でもう一つ、世界的に知名度の高いご事績があります。それは「昭憲皇太后基金」です。
赤十字を創設したのは、スイスのアンリ・デュナンという人です。イタリアの統一戦争が起こったとき、戦場で苦しんでいる多くの負傷者を目の当たりにして、周辺の有志をあつめて看護したのがその始まりです。このような救護活動をさらに発展させて、文久3年(1863年)に赤十字社が誕生しました。デュナンは赤十字創設の功労者として、ノーベル平和賞を受賞しています。また、赤十字事業とは異なりますが、看護福祉活動の第二の功労者としてあげられるのが、有名なナイチンゲールです。しかし、赤十字事業を、近代における戦時中のみの救護活動から、今日的な幅広い人道的な活動に発展させたのは、昭憲皇太后基金の創設によるところが大きく、皇后はアンリ・デュナン、ナイチンゲールとともに、赤十字事業の三大功労者に挙げられるべきお方であると申して過言ではないのです。
明治45年(1912年)、明治天皇がまだご在世中ことですが、ワシントンで第9回赤十字国際会議が開催されました。このとき皇后(昭憲皇太后)は、
「赤十字においては戦時ばかりでなく、平時における救護活動を積極的におこなって欲しい」
という思召(おぼしめ)しから、万国赤十字連合に対して、金10万円を下賜(かし)されました。当時の10万円は、今日のお金で3億円以上にのぼる破格の金額です。
戦乱のたいへん多かったヨーロッパでの赤十字活動は、伝統的に戦時における事業を重視していましたから、平時における事業にはあまり関心がありませんでした。しかし皇后はこのとき、日本赤十字社の代表者を通じて、次のようなお気持ちを国際会議の場で示されたのでした。
「赤十字事業の意義は、慈しみという、人類普遍の精神に求めるべきであり、しかもこの事業には国境があってはならない。戦争のない平和時にあって各国の赤十字社が互いに助け合うとき、世界ははじめて、本当の意味での親睦の和を結ぶことができる。赤十字の使命は、人類の幸福と平和に寄与することである」
このようなお考えは、ひとり赤十字事業に限らず、世界の共存共栄をめざす国際社会全般において、普遍的なおさとしと申すべきでありましょう。
さて、赤十字国際会議に出席した世界各国の委員は、皇后の思召しに深い感銘をおぼえました。時の米国大統領タフトは皇后に感謝の電報を寄せていますが、そのなかに次のようにあります。
「皇后陛下は、この慈愛にして崇高なご行為によって、赤十字が世界人類に向け、人類や国境を越えて福祉に寄与すべきであることをさとされた」
そして第一次世界大戦が終結した後、大正9年(1920年)に基金の運用の定めが起草され、次のような原則が定まりました。
①この基金の元金は使用しないこと。
②この基金の利息から生じた収入は、世界の赤十字社が、平時の救護活動を行う上で必要な資金として交付する。
同時に、皇后の大御心(おおみごころ)を永遠に記念するため「昭憲皇太后基金(ジ・エンプレス・ショウケン・ファンド)」と名付けられ、スイスのジュネーブに保管されることになりました。
現在、この基金は皇室をはじめ日本国民の折々の献金によって基金総額が約7億円にのぼり、毎年基金の利子が発展途上の十数カ国の赤十字社・赤新月社に配分され、医療援助活動に役立てられています。国際的に高い評価を受けているこれらのご事績について知らないという方が多いので、非常に残念です。
今日、「昭憲皇太后基金」の配分を希望する赤十字社は、毎年12月末日までに、その使用目的を明記して、ジュネーブの国際委員会に申請することになっています。そして本部委員の審査を経て、皇后のご命日である4月11日に、その配分を決定・発表されることが通例となっています。
昭憲皇太后が日本国内において、平時の災害救助を重視し、ご援助をなさったことはすでに述べましたが、「昭憲皇太后基金」の創設は、国内におけるご事績を、ひろく世界におよぼされたものといえます。やがて世界各国の赤十字社では、大正8年(1919年)に国際赤十字社連盟を組織して平時事業を積極的に推し進めるようになり、今日では「人道」と「博愛」を最高の目標とする世界最大の民間団体に成長しましたが、その発展の陰には、昭憲皇太后のうるわしいご事績があったことを忘れてはならないでしょう。
日のもとのうちにあまりていつくしみ
外國(とつくに)までもおよぶ御代(みよ)かな
慈しみの精神は日本国内はもちろん、世界人類にあまねく差しのべられるべきものである。昭憲皇太后がこのお歌のように、常に近代日本の皇后、そして近代の女性の模範としてのご自覚をお持ちになり、社会福祉に尽くされたことが、このような世界に誇るご功績となって、今日に伝えられているのです。
【明治神宮境内における昭憲皇太后基金増額献金運動】
