世界の中の昭憲皇太后
かつて伊藤博文は、
「京都は二人の偉人を生じた。岩倉具視と、恐れ多いが皇后陛下(昭憲皇太后)である」
と述べました。また、ロンドンの『タイム』誌は昭憲皇太后を追悼し、次のように記しました。
陛下は、国母陛下の地位にともなう多くのお勤めに御心を尽くされた。われら西洋諸国が皇后に求める「国民生活上の貢献」を、陛下は立派に果たされた。そして実行をもって模範を示され、日本の女性の地位を高められた。
昭憲皇太后は国際親善外交において、あくまで政治の表舞台に立たれる明治天皇の皇后のお立場で立派に大役を果たされたのでした。元英国公使のマクドナルドは、皇后に拝謁するたびごとに、感想を人に語っています。
数ヵ国の宮廷に出入りしたが、日本の皇后のように風格が高いお方を見たことがない。皇后は実に慈愛と権威とを有する天使である。
このような感想はマクドナルドのみならず、欧米人が共通して抱いた偽らざる感懐であったようです。たとえばドイツ人ベルツの日記には、明治26年1月13日に赤坂御所で催された観菊会のことが記されています。
この御宴に際しては、世界漫遊客が、ご陪観の栄に浴さんものと、潮の如く押し寄せるのである。事実また公使館を通じてその許しを得ることは困難ではない。
特にアメリカの男女はかかる機会を極端に利用する。彼等の最大の名誉心は、故郷で「日本の皇后陛下から親しくお言葉をいただいた」と吹聴するため、皇后陛下に拝謁を賜ることである。
天気は素晴らしかった。壮麗な御苑は、無限の変化に富む色彩をもって、この秋の陽光の下に、持前の美貌を余すところなく展開していた。
フランス人マルク・ウリスは『ル・コンセーユ・デ・ファーム』誌上で、昭憲皇太后のご事績を称賛して次のように紹介しています。
日本の進運と、日本が今日世界列強の中に占めている地位は、申すまでもなく明治天皇の経営された平和的改革には相違ないけれども、天皇が改革を断行されるに当たって、いかに内助の功が大きかったことか。陛下が皇后として明治天皇の偉業に翼賛された部分は、果たして如何であったであろうか。これを究明することは、皇后のご性格の世間にしられていない真価を認める道であり、我々ヨーロッパ人にとって甚だ興味ある問題である。
宮中奥深くにお隠れになっていた古来の風習を破り、直接国民の生活に接触し、楽しみや苦しみを分かち合うお役目に尽くされたお方は、実に皇后美子(はるこ)陛下をもって最初としなければならない。陛下は実に現代の生活と現代皇后の責任とを自覚された点において、日本の歴代皇后中、特に傑出された賢后と崇めなければならない。東洋の旧文明が西欧の大勢の下に、根本的に改変される過渡期を生きられた陛下のようなお方は、われらヨーロッパ人の眼にひとしおの異彩を放って映じたのである。美子皇后はまさしく、極東において女性としての権力の直接の感化を発揮する新時代を切り開かれたお方であった。
昭憲皇太后は優れたご才能、さらに清楚にしてつつましいご言動によって、近代日本の皇后陛下としてのご使命を全うされたのでした。
【聖徳記念絵画館壁画「観菊会」】
