習志野演習と西郷隆盛

 

 ぬきがたき山をもぬきしますらをが

      手ぶりをみする習志野の原

 

 「習志野」の地名は明治天皇が明治6年に名付けられたものですが、それ以前は下総国千葉郡大和田村と呼ばれていました。

 この年の4月29日、習志野で演習がおこなわれることになりました。天皇は午前6時に乗馬にて西丸大手門をご出発になり、近衛兵2800人を従えておよそ30キロの道程を行進なさいました。このとき近衛都督(このえととく)陸軍大将である西郷隆盛は肥満のため乗馬ができず、徒歩でお供をいたしました。

 さて、この時のエピソードとして次のような話が語り継がれています。

 この日は午後から風が強くなり、夜には大雨となりました。天皇は野外にテントを張ってお休みになっておられましたが、テントが風で吹き飛ばされ、雨の中にさらされてしまわれました。

 天皇は安眠中の部下を起こしては気の毒と、お一人で倒れたテントを直そうとされましたが、なかなか復旧することができず困り果てておられました。その時後方のテントで休んでいた西郷隆盛が目を覚まし外を見ると、何やらびしょぬれになって立ちつくす人がおります。

「もしや、陛下でいらっしゃいますか」

「そうだ、テントが倒れたので起こそうとしている」

西郷はびっくりしてすぐに部下を呼び起こそうとしましたが、天皇は、

「寝ているものを起こすな」

とおっしゃいます。西郷はそれならばと、天皇と二人で必死になってテントを起こそうと頑張りましたが、彼の強力をもってしても立ち上がりませんでした。しかたなく将校たちを呼び起こして、やっとの事で復旧することができたということですが、明治天皇の兵たちへの温かいお心遣いがもったいなくもうかがわれる一話です。

 

【聖徳記念絵画館壁画「習志野之原演習行幸」】

習志野演習と西郷隆盛